79年6月、オールド・タイマーズ・デーでの宣言より1年早く、マーティンはヤンキースの指揮官に電撃的に復帰した。もっとも、ミネソタのホテルでセールスマンに暴行を働き、同年オフに解任。「もうヤンキースの監督はこりごり」として、80年はアスレティックスの監督を引き受けた。だが以後も83、85、88年にヤンキースへ舞い戻っては、それぞれ1年限りで追い出された。これほど何度も同じ相手と離縁・復縁を繰り返した“カップル”はいないのだろう。いがみ合いながらも、スタインブレナーはマーティンの監督としての腕を買っていた。それだけでなく、人間としても強く惹かれていたとしか思えない。
ジャクソンは82年、再びFAとなってエンジェルスへ移籍。のちにスタインブレナーは「ジャクソンを引き留めなかったことが、私の一番の失敗だった」と悔やんだ。87年に古巣アスレティックスでプレーしたのを最後に、通算563本塁打で引退。93年にはヤンキースのキャップで殿堂入りした。同年スタインブレナーの特別アシスタントとしてヤンキースに戻り、今春にその座を退くまで、長い間チームの重鎮的存在であった。
マーティンは89年のクリスマスに自動車事故でこの世を去った。その直前、彼はスタインブレナー主催のクリスマス・コンサートに顔を出していた。スタインブレナーの息子ハルは「事故の知らせを聞いて父は取り乱していた。彼ら二人の特別な関係は、他の人たちには理解できなかっただろう」と語っている。
マーティンの墓所は、ベーブ・ルースの墓から150フィート――離れたところに設えられ、その費用を持ったのはスタインブレナーだった。墓碑銘には「彼以上に偉大な競争者はいなかった」と刻まれている。
一方、ジャクソンのマーティン評は冷ややかなものだった。「彼の選手の扱い方は受け入れられるものではなかった。黒人やユダヤ人に対しては特にそうだった。彼の人間性に尊敬の念を抱くのは難しい」と突き放し、「彼をよく知っているというつもりもない。目と目を合わせることさえなかったからね……死者に鞭打つつもりはないが、真実は真実だ」とも付け加えている。
それでも、現在ヤンキー・スタジアムに飾られている永久欠番の列において、マーティンの1番とジャクソンの44番は隣り合わせだ。10年にはスタインブレナーも鬼籍に入り、健在なのはジャクソンだけとなったが、今でも誰か1人が話題になるたび、残る2人の顔が自然に浮かんでくる。望もうが望むまいが、彼ら3人は切り離すことのできない間柄なのだ。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
ジャクソンは82年、再びFAとなってエンジェルスへ移籍。のちにスタインブレナーは「ジャクソンを引き留めなかったことが、私の一番の失敗だった」と悔やんだ。87年に古巣アスレティックスでプレーしたのを最後に、通算563本塁打で引退。93年にはヤンキースのキャップで殿堂入りした。同年スタインブレナーの特別アシスタントとしてヤンキースに戻り、今春にその座を退くまで、長い間チームの重鎮的存在であった。
マーティンは89年のクリスマスに自動車事故でこの世を去った。その直前、彼はスタインブレナー主催のクリスマス・コンサートに顔を出していた。スタインブレナーの息子ハルは「事故の知らせを聞いて父は取り乱していた。彼ら二人の特別な関係は、他の人たちには理解できなかっただろう」と語っている。
マーティンの墓所は、ベーブ・ルースの墓から150フィート――離れたところに設えられ、その費用を持ったのはスタインブレナーだった。墓碑銘には「彼以上に偉大な競争者はいなかった」と刻まれている。
一方、ジャクソンのマーティン評は冷ややかなものだった。「彼の選手の扱い方は受け入れられるものではなかった。黒人やユダヤ人に対しては特にそうだった。彼の人間性に尊敬の念を抱くのは難しい」と突き放し、「彼をよく知っているというつもりもない。目と目を合わせることさえなかったからね……死者に鞭打つつもりはないが、真実は真実だ」とも付け加えている。
それでも、現在ヤンキー・スタジアムに飾られている永久欠番の列において、マーティンの1番とジャクソンの44番は隣り合わせだ。10年にはスタインブレナーも鬼籍に入り、健在なのはジャクソンだけとなったが、今でも誰か1人が話題になるたび、残る2人の顔が自然に浮かんでくる。望もうが望むまいが、彼ら3人は切り離すことのできない間柄なのだ。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。