2025年度のバスケットボール殿堂入りが決まっているカーメロ・アンソニーは、NBA史に残るスコアラーの1人だ。しかし、2017年の移籍を機に、キャリアは下降線を辿った。当時チームメイトだったポール・ジョージ(現フイラデルフィア・セブンティシクサーズ)が “失敗”の理由を分析している。
2003年のドラフト全体3位指名でデンバー・ナゲッツに入団したカーメロは、ルーキーイヤーからチームのエースとして君臨。デビューから14シーズン連続で平均20点以上、2006-07シーズンにリーグ2位の平均28.9点、ニューヨーク・ニックス移籍後の2012-13シーズンには平均28.7点で得点王獲得と、世代屈指のスコアラーとして名を馳せた。
キャリア19年間でナゲッツ、ニックスのほか、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、ロサンゼルス・レイカーズでプレーし、通算1260試合に出場して歴代10位の2万8289得点をマーク。優勝には手が届かなかったが、NBA75周年記念チームにも選出され、今年の殿堂入りも決まった。
悪い意味でキャリアの転機となったのは、2017年9月のニックスからサンダーへのトレードだ。これまでの絶対的エースの立場からラッセル・ウエストブルック、ジョージに次ぐ第3オプションへと序列が下がり、平均16.2点、フィールドゴール成功率40.4%と前年から大きく成績を落とした。
その後在籍した3球団ではシックスマンの役割を受け入れて晩年に活路を見出したが、カーメロはサンダー時代の『ESPN』のインタビューで、「ベンチ要員になるつもりはない。それは論外だ」と語り、先発出場にこだわりを見せていた。
2017-18シーズンから2年間、サンダーに在籍したジョージは人気ポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演した際、カーメロがサンダーで苦戦した理由について見解を示した。
「メロは犠牲になったんだ。メロが問題ではなかった。ビリー(ドノバンHC)はラス(ウエストブルック)と俺のためにプランを立てていたけど、最後の最後でメロが加わった。だから、ビリーは『彼をどう組み込めばいいかわからない。君たち2人が私の主力だった。メロは自分で道を見つけるしかない』という感じだった」
同シーズン、ウエストブルックが平均25.4点、10.1リバウンド、10.3アシストのシーズン平均トリプルダブル、ジョージも平均21.9点をマークした。チームはドノバンHCの下、ウエストの第4シード(48勝34敗)を獲得したが、プレーオフでは1回戦でユタ・ジャズに2勝4敗で敗退。カーメロはシーズン終了後、アトランタ・ホークスにトレードされたのちに解雇される憂き目に遭った。
カーメロが当時、厳格な指揮官と折り合いをつけられていたら、彼のキャリアはまた違うものになっていたのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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2003年のドラフト全体3位指名でデンバー・ナゲッツに入団したカーメロは、ルーキーイヤーからチームのエースとして君臨。デビューから14シーズン連続で平均20点以上、2006-07シーズンにリーグ2位の平均28.9点、ニューヨーク・ニックス移籍後の2012-13シーズンには平均28.7点で得点王獲得と、世代屈指のスコアラーとして名を馳せた。
キャリア19年間でナゲッツ、ニックスのほか、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、ロサンゼルス・レイカーズでプレーし、通算1260試合に出場して歴代10位の2万8289得点をマーク。優勝には手が届かなかったが、NBA75周年記念チームにも選出され、今年の殿堂入りも決まった。
悪い意味でキャリアの転機となったのは、2017年9月のニックスからサンダーへのトレードだ。これまでの絶対的エースの立場からラッセル・ウエストブルック、ジョージに次ぐ第3オプションへと序列が下がり、平均16.2点、フィールドゴール成功率40.4%と前年から大きく成績を落とした。
その後在籍した3球団ではシックスマンの役割を受け入れて晩年に活路を見出したが、カーメロはサンダー時代の『ESPN』のインタビューで、「ベンチ要員になるつもりはない。それは論外だ」と語り、先発出場にこだわりを見せていた。
2017-18シーズンから2年間、サンダーに在籍したジョージは人気ポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演した際、カーメロがサンダーで苦戦した理由について見解を示した。
「メロは犠牲になったんだ。メロが問題ではなかった。ビリー(ドノバンHC)はラス(ウエストブルック)と俺のためにプランを立てていたけど、最後の最後でメロが加わった。だから、ビリーは『彼をどう組み込めばいいかわからない。君たち2人が私の主力だった。メロは自分で道を見つけるしかない』という感じだった」
同シーズン、ウエストブルックが平均25.4点、10.1リバウンド、10.3アシストのシーズン平均トリプルダブル、ジョージも平均21.9点をマークした。チームはドノバンHCの下、ウエストの第4シード(48勝34敗)を獲得したが、プレーオフでは1回戦でユタ・ジャズに2勝4敗で敗退。カーメロはシーズン終了後、アトランタ・ホークスにトレードされたのちに解雇される憂き目に遭った。
カーメロが当時、厳格な指揮官と折り合いをつけられていたら、彼のキャリアはまた違うものになっていたのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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