現地時間9月6日(日本時間7日)、ネイスミス・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以降、殿堂)が、マサチューセッツ州スプリングフィールドにあるシンフォニー・ホールで式典を開催した。
2025年はカーメロ・アンソニー(元デンバー・ナゲッツほか)やドワイト・ハワード(元オーランド・マジックほか)に加え、WNBAレジェンドのスー・バード、フロリダ大を2連覇へ導いたビリー・ドノバン(現シカゴ・ブルズHC)、マイアミ・ヒートのオーナーのミッキー・アリソンらが殿堂入り。
ハワードは式典のスピーチで、これまで所属してきたチームや両親、マジック時代の指揮官スタン・ヴァン・ガンディHCへ感謝。プレゼンターには、先月発表されたパトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)、ロバート・パリッシュ(元ボストン・セルティックスほか)、ドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)が登壇し、デニス・ロッドマン(元ブルズほか)こそいなかったものの、“マジックの先輩”シャキール・オニールも駆けつけて祝福した。
ハワードのスピーチは明るい軽妙なトークでスタートしたが、会場にロサンゼルス・レイカーズ時代の同僚レブロン・ジェームズが映し出されたことで、観客がどよめく事態に。これには2000年代後半~2010年代前半にかけてリーグのトップセンターに君臨したビッグマンも、会場に“キング”がいることに気付き、まるでシットコム(シチュエーションコメディ)の1シーンのようなリアクションで会場を笑わせた。
2004年のドラフトでマジックから全体1位指名されたハワードは、2004-05~11-12シーズンまで8年間マジックでプレー。レギュラーシーズン通算1万1435得点、出場2万2471分、8072リバウンド、1344ブロックで球団最多記録を保持しているほか、出場621試合とフィールドゴール成功4034本で球団史上3位、626スティールで同4位に入っている。
NBAキャリア18シーズンで、オールスターとオールNBAチームにそれぞれ8度、オールディフェンシブチームに5度選ばれ、NBA史上唯一となる3シーズン連続で最優秀守備選手賞を受賞と、輝かしい実績を残した。
2025年はカーメロ・アンソニー(元デンバー・ナゲッツほか)やドワイト・ハワード(元オーランド・マジックほか)に加え、WNBAレジェンドのスー・バード、フロリダ大を2連覇へ導いたビリー・ドノバン(現シカゴ・ブルズHC)、マイアミ・ヒートのオーナーのミッキー・アリソンらが殿堂入り。
ハワードは式典のスピーチで、これまで所属してきたチームや両親、マジック時代の指揮官スタン・ヴァン・ガンディHCへ感謝。プレゼンターには、先月発表されたパトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)、ロバート・パリッシュ(元ボストン・セルティックスほか)、ドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)が登壇し、デニス・ロッドマン(元ブルズほか)こそいなかったものの、“マジックの先輩”シャキール・オニールも駆けつけて祝福した。
ハワードのスピーチは明るい軽妙なトークでスタートしたが、会場にロサンゼルス・レイカーズ時代の同僚レブロン・ジェームズが映し出されたことで、観客がどよめく事態に。これには2000年代後半~2010年代前半にかけてリーグのトップセンターに君臨したビッグマンも、会場に“キング”がいることに気付き、まるでシットコム(シチュエーションコメディ)の1シーンのようなリアクションで会場を笑わせた。
2004年のドラフトでマジックから全体1位指名されたハワードは、2004-05~11-12シーズンまで8年間マジックでプレー。レギュラーシーズン通算1万1435得点、出場2万2471分、8072リバウンド、1344ブロックで球団最多記録を保持しているほか、出場621試合とフィールドゴール成功4034本で球団史上3位、626スティールで同4位に入っている。
NBAキャリア18シーズンで、オールスターとオールNBAチームにそれぞれ8度、オールディフェンシブチームに5度選ばれ、NBA史上唯一となる3シーズン連続で最優秀守備選手賞を受賞と、輝かしい実績を残した。
関連記事
- 「俺たちは本気で話し合った」シャックが“マジックの後輩”ハワードの殿堂入り式典に出席へ!<DUNKSHOOT>
- 元オールスター選手のハワードが“ヨキッチ対策”を語る「俺ならできるだけフィジカルにぶつかっていく」<DUNKSHOOT>
- 殿堂入り決定のハワードが2012年夏のマジック退団を回想「オーランドを離れたことで、多くの教訓を得た」<DUNKSHOOT>
- ハワードが2013年のレイカーズ退団を後悔「スマートな決断ができなかった。ただ感情的に決断を下したんだ」<DUNKSHOOT>
- 「向こうで俺は生き返った」ハワードがNBAを離れた理由や台湾でのキャリア第二章を語る「今は子どもと過ごしたい」<DUNKSHOOT>