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NBA

現代NBA最高のスコアラー、デュラントを輩出したテキサス大バスケットボール部の歩み【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.02.28

1年生ながら個人タイトルを総なめにしたデュラント。間違いなくテキサス大バスケ部最大のスターだ。(C)Getty Images

1年生ながら個人タイトルを総なめにしたデュラント。間違いなくテキサス大バスケ部最大のスターだ。(C)Getty Images

 面積、人口ともアメリカ第2位を誇るテキサス州。その州都オースティンにキャンパスを構えるテキサス大は、州内最大にして、5万人以上の学生が通う全米有数のマンモス校である。

 同大のスポーツチーム“ロングホーンズ”は、4度の全米制覇を誇るフットボールをはじめ、野球や水泳の名門校としても知られているが、バスケットボール部の存在感はそこまで大きくない。NCAAトーナメント(以下トーナメント)には34回出場しているものの優勝経験はなく、ファイナル4進出も実質的には1度だけ、NBAに送り出した選手の数も34人。しかし21世紀に入ってからは多くの優秀なプレーヤーを輩出しており、少しずつその地位は高まっている。
 
 バスケ部の創設は1905年で、初期はフットボールや陸上競技の指導者がコーチをしていた。13~16年にかけては公式戦で3年間負けなしの44連勝。この記録はその後40年間破られなかった。

 当時の中心選手だったセンターのクライド・リトルフィールドは、その後陸上の名コーチとなり、NCAA陸上指導者協会の会長まで務めた。23-24シーズンにも23戦全勝の記録を達成。43、47年はトーナメントで準決勝まで勝ち進んだが、当時のトーナメントは現在よりずっと格式が低く、もうひとつの全国大会であるNITトーナメントのほうが重要視されていた。

 その後は戦力が低下し、トーナメントにも散発的にしか顔を出せず。NBAに進んだ選手も80年代に入るまではわずか4人にとどまり、60年のローマ五輪代表だったジェイ・アーネット(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングス)も、NBA入り前の4年間で野球に寄り道したせいか、プロでは大成しなかった。

 ただし、そのうちの1人のスレイター・マーティンは超大物である。47年のファイナル4進出時の中心選手だったマーティンは、49年に1試合49得点のカンファレンス記録を樹立。NBAでも50年代の強豪チームだったミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)のポイントガード(PG)として、オールスターに7年連続で出場した。レイカーズで4回、セントルイス(現アトランタ)・ホークスでも1回優勝し、82年にはテキサス大出身者では唯一のバスケットボール殿堂入りを果たしている。
 
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