2019年8月28日にアメリカ経済誌「Forbes」が発表したNBA選手のシグネチャーシューズ収入ランキングで、ジョーダンブランド、いわゆるマイケル・ジョーダンが約138億円で1位となった。2位のレブロン・ジェームズが約34億円なので、ジョーダンが今もなお突出した人気を誇っていることがわかる。
今のNBA現役選手から引退したレジェンド、また他競技のアスリートまで含めても、個人の名を冠としたブランドが人気とビジネス、実績ともに大成功したのは後にも先にもジョーダンしかいない。
1997年9月9日、ニューヨークのナイキタウンでジョーダンブランドの設立発表が行なわれた。もちろんジョーダン本人が出席し、その様子はテレビを通じて世界中に報道され、スポーツビジネスの枠を超えたビッグビジネスの誕生だと大きなニュースになった。この時すでに、ジョーダンが与えるマーケットへの影響力は絶大で、「ナイキの中のブランドのひとつに変わりはないが、エア・ジョーダンシリーズは僕のブランドだ。とはいってもナイキと一緒にこれからもやっていく」と語った。
「エア・ジョーダンシリーズは自分のブランド」と言うように、シューズの開発に対してジョーダンは大きな思い入れがある。その思いを、レギュラーシーズン終盤を迎えた1997年の3月、ミルウォーキーで聞いた。
「本格的に開発に関わるようになったのはサードモデルから。ティンカー・ハットフィールドがデザイナーを担当してくれるようになってからだ。彼は新しいエア・ジョーダンのデザイン画を僕のところに持ってきてくれる。そして一番初めに、背番号23がどこにデザインされてるかを探すんだ。23はもう僕の身体の一部のようなもので、23と言えば僕だと誰もがわかる。ジャンプマンロゴも気に入っているデザインで必ずシューズのどこかには入れて欲しい。シカゴ・ブルズのユニフォームもそうだけど、こういった自分の身につけるものは一度気に入ったらずっと同じものでいきたい性格なんだ。新しいものを次から次へと追いかける歳でもないしね」とジョーダンは語った。
今のNBA現役選手から引退したレジェンド、また他競技のアスリートまで含めても、個人の名を冠としたブランドが人気とビジネス、実績ともに大成功したのは後にも先にもジョーダンしかいない。
1997年9月9日、ニューヨークのナイキタウンでジョーダンブランドの設立発表が行なわれた。もちろんジョーダン本人が出席し、その様子はテレビを通じて世界中に報道され、スポーツビジネスの枠を超えたビッグビジネスの誕生だと大きなニュースになった。この時すでに、ジョーダンが与えるマーケットへの影響力は絶大で、「ナイキの中のブランドのひとつに変わりはないが、エア・ジョーダンシリーズは僕のブランドだ。とはいってもナイキと一緒にこれからもやっていく」と語った。
「エア・ジョーダンシリーズは自分のブランド」と言うように、シューズの開発に対してジョーダンは大きな思い入れがある。その思いを、レギュラーシーズン終盤を迎えた1997年の3月、ミルウォーキーで聞いた。
「本格的に開発に関わるようになったのはサードモデルから。ティンカー・ハットフィールドがデザイナーを担当してくれるようになってからだ。彼は新しいエア・ジョーダンのデザイン画を僕のところに持ってきてくれる。そして一番初めに、背番号23がどこにデザインされてるかを探すんだ。23はもう僕の身体の一部のようなもので、23と言えば僕だと誰もがわかる。ジャンプマンロゴも気に入っているデザインで必ずシューズのどこかには入れて欲しい。シカゴ・ブルズのユニフォームもそうだけど、こういった自分の身につけるものは一度気に入ったらずっと同じものでいきたい性格なんだ。新しいものを次から次へと追いかける歳でもないしね」とジョーダンは語った。