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「ブルース・ボウエンには誰だってなれる」たゆまぬ努力で名声と悪名を轟かせた守備職人のキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.04.09

スパーズに移籍後、ボウエンの知名度は全国区に。それに伴い悪名も轟いた。(C)Getty Images

 ブルース・ボウエンの名を誰もが知るようになるのは、2001年のオフにサンアントニオ・スパーズへ移籍してからだ。ただ、ロサンゼルス・レイカーズのコビー・ブライアントを抑えられるストッパーとして3年契約を提示したチーム首脳陣も、当時はどれほど価値のある選手を手に入れたのか、おそらく気がついていなかっただろう。

 スパーズでの1年目、彼が出場した試合の成績は47勝12敗。欠場した23試合は11勝12敗だった。アナリストのジョン・ホリンジャーは、彼が年間で118もの失点を防いだことを指摘し、その守備力をこのように表現した。

「ボウエンはまるでサランラップだ。彼にカバーできない物はない」

 だが、称賛の声ばかりではなかった。勝つためには手段を選ばぬボウエンのディフェンスに、コート内外から非難が降り注いだのである。特に問題視されたのが、相手選手がジャンプシュートを放った際、ボウエンが踏み出した足に着地して捻挫する事例が相次いだことだった。

 犠牲者のヴィンス・カーター(元トロント・ラプターズほか)、レイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)、スティーブ・フランシス(元ヒューストン・ロケッツほか)らが糾弾の声を上げ、当時ニューヨーク・ニックスのヘッドコーチで、現役時代はラフなプレーで知られたアイザイア・トーマスでさえ「今度あんな真似をしたら、ヤツの足をへし折ってやる」と息巻いたものだ。
 
 しかしそうした批判にも、ボウエンはまったく動じることがなかった。

「最初のうちは気にもなったよ。でも、俺はただ一所懸命やっていただけだったし、他人の言うことはコントロールできないとわかってからは、放っておくようになった。そんなのを気にして、自分のプレースタイルを変える必要はないんだ」

 相手のエース級とマッチアップする機会が多いから、自然とアクシデントが増えてしまった側面もある。実際、どれだけ抗議の声が上がっても、リーグから出場停止処分が下さることはなかった。いずれにせよ、"何をするかわからない選手"という評判は、かえってボウエンを心理面で優位に立たせた。その結果、彼は2003年まで3年連続でオール・ディフェンシブ2ndチームに、2004年からは5年連続で1stチームに選出されたのである。
 
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