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現役時代に「俺はキッドよりも上」と豪語していたマーブリーが、今でも“自分の方が優れている”と主張する理由

ダンクシュート編集部

2020.04.15

2001年のオフにマーブリーとキッドはトレード。キッドを加えたネッツは翌年から2年連続でファイナルに進出したが、マーブリーを獲得したサンズは2年間でプレーオフ出場が精一杯だった。(C)Getty Images

 現在、ロサンゼルス・レイカーズでアシスタントコーチを務めるジェイソン・キッドは、選手時代に正確無比なパスだけでなく、得点、リバウンド、ディフェンスとハイレベルにこなす万能ポイントガード(PG)として名を馳せた。NBA19年間で歴代2位の通算1万2091アシスト、同4位のトリプルダブル107回とリーグ史に残る司令塔の1人であることに疑いの余地はないが、"自分のほうが上だ"と豪語する男がいる。それが、攻撃的PGとして鳴らしたステフォン・マーブリーだ。

 1996年のドラフト1巡目4位指名を受けたマーブリーは、ミネソタ・ティンバーウルブズでキャリアをスタートさせた。ケビン・ガーネットとの強力コンビで将来を嘱望され、99年に3チームが絡む大型トレードでニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)へ。司令塔兼エースとしてチームを牽引していたが、2001年7月に当時フェニックス・サンズに所属していたキッドとの交換トレードが成立した。

 当時、ネッツのロッド・ソーン・ゼネラルマネージャー(GM)は、「ジェイソンはリーグでベストのリバウンド型PGだ。NBAオールディフェンシブチームに入っていて、我々は守備でサポートを必要としていた。チームは劇的に変わると思う」と3年連続アシスト王の司令塔獲得を喜んだ。

 マーブリー時代は3年連続で勝率3割台とプレーオフに縁がなかったが、ソーンGMの言葉通り、ネッツはキッドの加入で急上昇。当時28歳だったプレーメーカーがケニョン・マーティン、ケリー・キトルズ、キース・ヴァンホーン、リチャード・ジェファーソンらを巧みに生かし、02、03年と2年連続でファイナルに進出するなど、イースト屈指の強豪に変貌を遂げた。
 
 対するマーブリーはサンズ移籍2年目にチームをプレーオフ進出に導いたが、1回戦敗退と目立った結果を残せず、04年にニューヨーク・ニックスへトレードされた。

 その翌年、マーブリーは地元メディアに対して豪快に"No.1宣言"をして大きな話題を呼んだ。

「誤解しないでくれよ。俺はジェイソン・キッドが好きだ。彼は偉大なPGだ。だけど、自分がベストのPGなのに、どうやって彼と比較するんだい?意味が分からない。自分を誰かと比較することはできない。俺はNBAでベストのPGだ。『君はNBAでベストPGかい?』と聞かれたら俺はこう答えるよ、『そうだ』ってね」

 キッドはネッツ時代こそタイトルには手が届かなかったものの、2011年に古巣のダラス・マーベリックスで悲願の優勝を経験。13年に引退し、18年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。

 一方のマーブリーは、ニックスからボストン・セルティックスを経て10年からは中国リーグへ。最高峰の舞台から後退して18年に現役を退いた。