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NBA

大学No.1選手から脇役へと転身。知性と情熱の男、シェーン・バティエの物語【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.04.22

ヒートで連覇に貢献するなど、優秀なロールプレーヤーとしてNBAで13年のキャリアを送ったバティエ。その人望の厚さは、政治家への転身も期待されるほど。(C)Getty Images

ヒートで連覇に貢献するなど、優秀なロールプレーヤーとしてNBAで13年のキャリアを送ったバティエ。その人望の厚さは、政治家への転身も期待されるほど。(C)Getty Images

 素晴らしい才能や身体能力に恵まれていたわけではない。しかし、シェーン・バティエは真摯な姿勢と溢れんばかりの情熱、そして優れたバスケIQを最大の武器に、この世界を生き抜いてきた。ロケッツではT-MACやヤオ・ミンを、ヒートではレブロン・ジェームズらビッグ3を支えた、“ロールプレーヤーの鏡”の生き様に迫る。

    ◆    ◆    ◆

 洋の東西を問わず、政治の世界で第2のキャリアを送る元アスリートは少なくない。NBAでも、ニューヨーク・ニックスのスター選手だったビル・ブラッドリーは民主党の上院議員となり、大統領候補にも名前の挙がった大物政治家になった。さらにデイブ・ビング(元デトロイト・ピストンズほか)はデトロイト市長を、ケビン・ジョンソン(元フェニックス・サンズほか)もサクラメント市長を務めた。

 名脇役として2012、13年のマイアミ・ヒートの2連覇に貢献したシェーン・バティエもまた、引退直後に民主党からミシガン州選出の上院議員の後継候補として立候補を打診された。結局その話は断ったが、知名度や人望の厚さを考えれば将来的に“バティエ議員”の姿を見られる日が来ないとも限らない。
 
 バティエという苗字にはフランス語のような印象を受けるが、フランス人の血が入っていないどころか、そもそも父エディーの代までは別の姓だった。もともとはバトル(Battle)だったのだが、看護師の書いた出生証明書の文字が読みづらく「Battier」と登録されてしまったのだ。軍隊に入った時にその点を指摘されたエディーは、以後バティエを正式な姓としたのである。

 黒人の父エディーと白人の母の間に生まれたシェーンは、学校の成績も優秀、トランペットの演奏もこなすなど、子どもの頃から様々な方面で才能を発揮した。たが、何よりも好きだったのはバスケットボールで、ミシガン州で生を受けた彼はバッドボーイズ時代のピストンズ、とりわけアイザイア・トーマスの大ファンだった。

「物心がついた頃から、NBA選手になるのが夢だった。ほかの職業は頭の片隅にも浮かばなかったよ。同年代の子どもたちより身長も高かったしね」

 クリス・ウェバー(元サクラメント・キングスほか)の母校でもあるカントリー・デイ高時代には3度も州大会を制し、数多くの大学から勧誘されたバティエだったが、地元の強豪であるミシガン大やミシガン州大ではなく、文武両道で知られる名門デューク大に進学する。
 
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