NBA

「マイケルは究極の競争相手だった」ペニーが“闘犬モード”のジョーダンから叩き込まれたレッスン

ダンクシュート編集部

2020.05.03

ペニー(右)率いるマジックは、95年のプレーオフでジョーダン擁するブルズを撃破。世代交代を予感させたが、翌年のポストシーズンではスウィープ負けを喫した。(C)Getty Images

 シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』が放映され、NBAの中心にはマイケル・ジョーダンが君臨していたことを改めて感じさせている。そんな"神様"が認めた選手の1人が、アンファニー・"ペニー"・ハーダウェイだった。"マジック・ジョンソン2世"とも呼ばれた大型司令塔が感じた実像とは――。

 1993年のドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、1位指名のクリス・ウェバーとのトレードでオーランド・マジック入りしたペニー。同年10月にジョーダンが最初の現役引退を発表したため、ルーキーイヤーに両者の対戦が実現することはなかった。

 95年3月、ジョーダンが「I’m back」(復活だ)の名言とともに電撃復帰。両者は同24日のブルズ対マジック戦で初めて相まみえた。21得点(フィールドゴール23本中7本)、4リバウンド、8アシスト、5スティールのジョーダンに対し、ペニーは22得点(フィールドゴール15本中7本成功)、5リバウンド、6アシストの活躍で106-99の勝利に導いた。

 その後、プレーオフのカンファレンス準決勝で再び両者は激突。ジョーダンは第2戦に背番号を「45」から「23」に戻してギアを上げにかかったが、野球挑戦で錆びついた体に本来のキレは戻り切らず、ペニー&シャキール・オニールの若手強力コンビがブルズを退け、ファイナルまで勝ち上がった。
 
 ジョーダンから"キッド"(坊や)と呼ばれていたというペニーは『ESPN』で、自身のアイドルだったプレーヤーと対峙した1994-95シーズンについて「不思議な感覚だった」と振り返っている。

「私たちがリーグ入りする前、みんなマイケルのファンだった。NBAは彼のリーグだったんだ。でも彼が戻ってきた時、私は『俺がビッグドッグ(ボス)だ』って感じだった。マイケルはマイケルだけど、私はリーグで自分の地位を確立していたから、私に証明する必要があるというのがその時の考えだった。彼が戻ってすぐにブルズと対戦したけど、彼は少し錆びついていた。もちろん常に尊敬していたよ。攻撃される前に攻撃しなければならないと、苛立たせようと必死に戦った」

 もっとも、その悔しさを糧にオフに身体をいじめ抜き、本来のキレを取り戻したジョーダンは1995-96シーズンに平均30.4点をマークし自身8度目の得点王を獲得。チームも当時最多となるシーズン72勝をあげ、再戦となったカンファレンス決勝ではマジックをスウィープ(4連勝)で破ってそのまま頂点まで駆け上がった。