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【NBAデュオ列伝】「史上最高」にもな成り得たケンプ&ペイトン。歯車はどこで狂ったのか|前編

出野哲也

2020.05.19

ともに悪評が先に立ったペイトン(左)とケンプ(右)だが、そこがまた魅力的だった。(C)Getty Images

 NBA史上最高のポイントガードとパワーフォワードの組み合わせが、ジョン・ストックトンとカール・マローンのコンビであることは疑いの余地がない。しかし、その2人に並ぶ、あるいは超えるコンビになるかもしれない――そう注目された2人がいた。

「ゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプ。選手としてのタイプは少し違うが、彼らは新世代のストックトン&マローンだ」

 シアトル・スーパーソニックスのGMとして、2人をドラフトで指名したボブ・ウィットシットはそう確信していた。96年にソニックスのヘッドコーチとして、ともにNBAファイナルを戦ったジョージ・カールも「彼らは今でもオールスター選手だが、優勝を1、2回経験すれば殿堂入りも確実だろう」と予測した。

 だが、それは現実とはならなかった。歯車は、一体どこから狂い始めたのだろうか?
 
 ケビン・ガーネットやレブロン・ジェームズのように、カレッジ・バスケットを経験せずにNBAで活躍する選手は90年代以降珍しくなくなった。そうした流れを最初に作った選手が、89年にドラフト17位でソニックスに入団したケンプだった。

 もっとも、ケンプは高校からすぐにNBA入りしたわけではない。名門ケンタッキー大に入学はしたのだが、1試合もプレーすることなく中退。短期大学へ転校した後、プロ入りの決意を固めたのである。中退の原因としては、ケンタッキー大バスケットボール部の不祥事や、ケンプ本人の窃盗疑惑など様々な説があるが、学業成績が悪すぎて奨学金が支給されなかったからだとも言われている。

「俺はそんなにバカじゃない。ただ単に勉強しなかったのさ。白人と違って、黒人だと成績が悪かったらどんなにいい選手でもプレーさせてもらえないんだ。人種差別もいいところだよ」

 これはプロ入り後数年を経て、ケンプが当時の状況を振り返って語ったものだ。やがて彼の転落を招く怠惰さと、責任を転嫁する姿勢が、すでに現れているのが興味深い。