ペイトンとケンプは1歳違いだったが、当初はさほど親密な仲でもなかった。2人とも誰からも好かれるようなタイプではなかったし、雑草育ちのケンプとエリート街道を歩んだペイトンでは立場も微妙に違った。それでもチームメイトとして時を重ねるうち、お互いに対する理解は深まっていった。また若手から中堅へとさしかかるにつれ、リーダーシップを要求される年齢となったことも、2人の距離を近づけた。
「俺はゲイリーとなるべく多くの時間を過ごすようにした。食事や映画とかに一緒に出かけたりね。そうすることでプレーにもいい影響が及ぶんじゃないかと思ったんだ」
ケンプの思惑は、意図した通りの結果を生み出した。やがてコート上での2人は、見えない糸で結ばれているかのように息の合ったプレーをするようになった。
2人の成長と歩調を合わせるように、ソニックスの成績も伸びていった。94年にはリーグ最高勝率を残しながらも、プレーオフ1回戦で敗退する屈辱も味わったが、96年にはウエスタン・カンファレンスを制し、17年ぶりのファイナル進出。マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに2勝4敗で敗れたものの、ケンプは平均23.3点、10リバウンドと素晴らしい活躍で、負けたにもかかわらずファイナルMVP候補に挙げられるほどだった。ペイトンとケンプがソニックスを優勝に導く日は、そう遠くないように思われた。
ところが、2人の間に思わぬ形で亀裂が入る。きっかけは、アトランタ五輪のドリームチームⅢに選ばれていたグレン・ロビンソンが、アキレス腱痛で代表を辞退したことだった。
代替候補の最有力とみなされていたのはケンプだった。NBAファイナルでの活躍、ポジションも同じフォワードであり、ドリームチームⅡのメンバーという実績もあった。しかし、選ばれたのはペイトンの方だった。
ケンプが外されたことについては、ドリームチームⅡでプレーした世界選手権での素行に問題があり、国の代表としてふさわしくないからという噂も囁かれた。しかし、態度の悪さという点ではペイトンも五十歩百歩。真相は純粋に戦力的なもので、パワーフォワードにはマローンとチャールズ・バークレーがいてケンプは不要だったことと、代表チームのヘッドコーチ、レニー・ウィルケンズがペイトンのディフェンス力を高く買っていたからだった。それでも、オリンピック出場を狙っていたケンプとしては面白くなかった。
「俺はゲイリーとなるべく多くの時間を過ごすようにした。食事や映画とかに一緒に出かけたりね。そうすることでプレーにもいい影響が及ぶんじゃないかと思ったんだ」
ケンプの思惑は、意図した通りの結果を生み出した。やがてコート上での2人は、見えない糸で結ばれているかのように息の合ったプレーをするようになった。
2人の成長と歩調を合わせるように、ソニックスの成績も伸びていった。94年にはリーグ最高勝率を残しながらも、プレーオフ1回戦で敗退する屈辱も味わったが、96年にはウエスタン・カンファレンスを制し、17年ぶりのファイナル進出。マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに2勝4敗で敗れたものの、ケンプは平均23.3点、10リバウンドと素晴らしい活躍で、負けたにもかかわらずファイナルMVP候補に挙げられるほどだった。ペイトンとケンプがソニックスを優勝に導く日は、そう遠くないように思われた。
ところが、2人の間に思わぬ形で亀裂が入る。きっかけは、アトランタ五輪のドリームチームⅢに選ばれていたグレン・ロビンソンが、アキレス腱痛で代表を辞退したことだった。
代替候補の最有力とみなされていたのはケンプだった。NBAファイナルでの活躍、ポジションも同じフォワードであり、ドリームチームⅡのメンバーという実績もあった。しかし、選ばれたのはペイトンの方だった。
ケンプが外されたことについては、ドリームチームⅡでプレーした世界選手権での素行に問題があり、国の代表としてふさわしくないからという噂も囁かれた。しかし、態度の悪さという点ではペイトンも五十歩百歩。真相は純粋に戦力的なもので、パワーフォワードにはマローンとチャールズ・バークレーがいてケンプは不要だったことと、代表チームのヘッドコーチ、レニー・ウィルケンズがペイトンのディフェンス力を高く買っていたからだった。それでも、オリンピック出場を狙っていたケンプとしては面白くなかった。