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NBA

元クリッパーズのカロン・バトラーが振り返るチームの黄金期と“ロブシティ”の解散

ダンクシュート編集部

2020.05.29

バトラー(左)は、クリッパーズでグリフィン(中央)やジョーダン(右)のサポート役を担当。優勝には縁がなかったが、本人は在籍2年目の12-13シーズンは「クリッパーズ史上最高のチームだった」と振り返る。(C)Getty Images

バトラー(左)は、クリッパーズでグリフィン(中央)やジョーダン(右)のサポート役を担当。優勝には縁がなかったが、本人は在籍2年目の12-13シーズンは「クリッパーズ史上最高のチームだった」と振り返る。(C)Getty Images

 ロサンゼルス・クリッパーズは1980年代から2000年代前半まで、“弱小軍団”の典型例のようなチームだった。ドナルド・スターリング前オーナーはケチで知られ、プレーオフとは無縁でアリーナも閑散としていた。そんなドアマットチームが強豪に生まれ変わったのが、クリス・ポール(現オクラホマシティ・サンダー)のパスから、ブレイク・グリフィン(現デトロイト・ピストンズ)とディアンドレ・ジョーダン(現ブルックリン・ネッツ)がアリウープを量産することから“ロブシティ”の異名を取った時代だ。2011~13年に所属したカロン・バトラーが、『Clutchpoints.com』のポッドキャスト“BATTLE FOR LA”で当時を振り返った。

 2002年にマイアミ・ヒートでNBAキャリアをスタートさせたバトラーは、3年目の2004-05シーズンにロサンゼルス・レイカーズでコビー・ブライアントと1年間共闘。その後ワシントン・ウィザーズ、ダラス・マーベリックスを経て、2011年12月にクリッパーズと3年契約を結び、7年ぶりにロサンゼルスでプレーすることになった。

 バトラーは当時31歳。前年にマブズの一員として初のチャンピオンに輝き、グリフィン(当時22歳)、ジョーダン(当時23歳)という若手ビッグマンをサポートできると考えたという。
 
「俺はロサンゼルスに戻りたいと思っていた。いつでも行ける準備はしていた。まだプライムタイム(全盛期)だったし、コート上で仲間を牽引できる。ブレイク、ディアンドレと若いタレントもいて、彼らを助けることもできたから、俺にとっては絶好のチャンスだった。クリス(ポール)が入るなんて思っていなかったから、夢のようだったよ」

 バトラーの契約から5日後、ニューオーリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)とのトレードが成立してポール加入が決定。ポールはもともとレイカーズへのトレードが内定していたが、当時ホーネッツはリーグが所有していたため、リーグの戦力バランスにもたらす影響も考慮してデイビッド・スターン・コミッショナーの承認が得られず破談となったがゆえにもたらされた大型補強だった。バトラーはポールとやりとりしていたことを明かす。

「レイカーズがクリスを獲得するトレードがリーグの承認を得られなかったと聞いた時、彼は新天地がクリッパーズでも構わないということだった。俺たちには共通の友人とかたくさんいたから、クリスとはひそかに話していたんだ。すでに契約は動いていて、クリッパーズに来るとは知っていたけど、俺は(移籍決定の正式な)ニュースが出るのを待っていた。俺はすべてに興奮したよ。この時、“ロブシティ”が誕生した。ロサンゼルス・クリッパーズの文化はその時変わったんだ」
 

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