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NBA

「NBAで活躍することがすべてではない」欧州最高のシューター、“ラ・ボンバ”が1年でNBAを去った理由

小川由紀子

2020.06.14

バルセロナで数々のタイトルを獲得し、スペイン代表でも黄金期を築いたナバーロ。しかしNBAでプレーしたのはわずか1シーズンのみだった。(C)Getty Images

バルセロナで数々のタイトルを獲得し、スペイン代表でも黄金期を築いたナバーロ。しかしNBAでプレーしたのはわずか1シーズンのみだった。(C)Getty Images

 世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。しかし、その中には己の実力を発揮しきれず、数年でアメリカを後にしたプレーヤーも少なくない。NBAに挑み、再び欧州の舞台へ舞い戻った挑戦者たちを、シリーズで紹介しよう。

    ◆    ◆    ◆

 欧州のバスケットボールファンに「今世紀最高のヨーロッパ人選手は?」と尋ねたら、多くの人が彼の名を挙げるのではないだろうか。スペインが生んだ“ラ・ボンバ”こと、フアン・カルロス・ナバーロ。日本で開催された2006年の世界選手権(現W杯)で優勝したスペイン代表での彼の勇姿を覚えている人も多いかもしれない。

 2018年8月に現役を引退したナバーロは、欧州最高のシューターとして鳴らした。昨年11月にオリンピアコスのヴァシリス・スパノーリスに更新されるまで、通算4152得点はユーロリーグのオールタイムレコード。いっさいネットを揺らすことなくゴールを射抜く美しいそのシュートは、ファンを幾度となく興奮へと誘ってきた。
 
 NBAのメンフィス・グリズリーズに所属した2007-08シーズンを除き、キャリアのすべてを故郷のバルセロナに捧げたナバーロ。国内リーグ優勝8回、ユーロリーグ制覇2回など、クラブ全盛期の立役者となった。スペイン代表でも、ガソル兄弟やホセ・カルデロンらと黄金時代を築き上げ、2006年の世界選手権優勝のほか、五輪では2008年北京と12年ロンドンで銀メダル、16年のリオ大会で銅メダルに貢献。ユーロバスケットでも金・銀・銅を各2回ずつ、計6つのメダルを獲得。ユーロリーグ年間MVP(2009年)やファイナルMVP(2010年)など、数々の個人賞を受賞した21年間のキャリアは栄光に満ちたものであった。

 そのナバーロがNBAドラフトで指名を受けたのは、すでにバルセロナで主力に定着していた2002年。当時22歳だった彼は、ワシントン・ウィザーズから全体40位でその名を呼ばれた。

 親友のパウ・ガソルはその前年にアトランタ・ホークスから全体3位で指名されており、トレードでメンフィス行きが決まった時にはナバーロにもしきりにNBA行きを勧めたという。しかしナバーロは「家族も周りにいない、気候も食事もすべてが大好きなスペインを離れてまでNBAに行く気にはなれない」と当時は感じていた。
 
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