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ナイキがバッシュ市場で最大のシェアを誇る理由。転機となった1980年代からの隆盛の歴史を紐解く

北舘洋一郎

2020.07.06

ジョーダンとの契約も大きな契機だったが、それ以上に“アスリート側に立った思考”がナイキというブランドを一気に拡大させていった。(C)Getty Images

 1980~90年代にかけて、バスケットボールマーケットで一気にブランドシェアを拡大したナイキ。その背景には、いくつかのキーポイントがあった。

 もちろん、最も大きなターニングポイントはマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)とのエンドースメント契約であることに間違いはない。ここからジョーダンとナイキの蜜月関係は始まり、ジョーダンのオンコートでのパフォーマンスとナイキが仕掛けるプロダクト(シューズ)とマーケティング(広告、PR)が、コンシューマーに大きく受け入れられた。

 もしこの出来事がなかったら、ナイキは今日のように世界を圧巻し、ダントツのスポーツブランドになっていただろうか。戦国武将にとって天下に名を知らしめる戦があるように、ナイキにはこれが大きな物語の序章部分だったのだ。

 しかし、もし当時のナイキが"アスリート側に立った思考"を欠くブランドだったら……。現在のようなナイキにはたしてなっていたのかという思いもある。
 
 私の知る限りでは、1980、90年代にナイキのシューズデザインをしていたデザイナーは、靴を完成させるまでのプロセスに一定の流れがあったように思う。

「最終目的がどこにあるのかで、デザインしていく上でのアプローチというか道筋は変わっていく。ひとつのシューズを開発するのに1、2年かけてプロジェクトを進めていくのだが、その過程で一番重要なのは、そのシューズがなぜそこに存在するのかの情報収拾、情報整理、情報をシューズに落とし込む、そしてシューズにイノベーションそのものがあるのかどうか。そういう軸を持ってデザインを進めていた」

 そう話すのは、田臥勇太(宇都宮ブレックス)のシグネチャーモデルである『エア・ズームブレイブ』をはじめ、数々のデザインを担当した経験を持つジェフリー・ヘンダーソン。多くのデザイナーが働くナイキのなかの"バスケットボールシューズ"というカテゴリーにおいて、コミュニケーションを図り意思を統一する上で重要だったのは、シューズが"シグネチャー系"、"フォース系"、"フライト系"、"アップテンポ系"のどの分類に属しているかを把握することだとヘンダーソンは言う。
 
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ナイキは競合ブランドとどの部分を差別化し、購買者に親近感を沸かせる結果につなげたのか