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NBA

ラトレル・スプリーウェル、“破壊的な性格“が露わになった1994年の事件【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.07.06

バスケと出会ってわずか5年でNBAまで上り詰めたスプリーウェル。しかしその内には“破壊的な性格”を秘めていた。(C)Getty Images

バスケと出会ってわずか5年でNBAまで上り詰めたスプリーウェル。しかしその内には“破壊的な性格”を秘めていた。(C)Getty Images

■本格的にバスケを始めてわずか1年で才能が開花

 スター選手とヘッドコーチ(HC)の関係は、時として極めて微妙なものになる。古くはクリス・ウェバーとドン・ネルソンの確執が問題となったし、さらに時を遡れば、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)もポール・ウエストヘッド(元レイカーズHCほか)をチームから追い出し“コーチ・キラー”の悪名を着せられた。

 しかし、ラトレル・スプリーウェルほどその名にふさわしい者はいないだろう。何しろ彼は、ゴールデンステイト・ウォリアーズ時代にPJ・カーリシモHCの首を本当に絞め上げ、2度とプレーの叶わない身になるかもしれなかった危機に直面していたのだ。

 スプリーウェルの破壊的な性格は、幼少時の環境にも原因があったのだろう。父親は3人の子どもに対し日常的に虐待を加え、彼が6歳の時に離婚が成立した後は母親の実家で育てられた。

 本格的にバスケットボールを始めたのは、NBAに進むような選手としては極めて遅く、高校の最終学年。「ピックアップ・ゲームを楽しむことはあっても、真剣に打ち込んだことはそれまでなかった」のが、背の高さと手の大きさを見込まれて組織的なプレーを学ぶと、見る見るうちに実力をつけ、平均30点近くを叩き出すようになった。

 有力大学からの奨学金の申し出はほとんどなかったが、短大に進学して2年を過ごしたのち、アラバマ大に転校。4年時には平均17.8点、1.80スティールを記録し、サウスイースタン・カンファレンスを代表する選手に成長した。
 
■プロ入り2年目で早くもリーグのベスト5に選出

 1992年のドラフトではウォリアーズが24位で指名。開幕戦から先発シューティングガードとして起用され、シーズン平均15.4点、オールスター以降に限れば18.9点と素晴らしい数字を残し、オールルーキー2ndチームに選出された。

 オフェンスでは抜群の瞬発力で見事なダンクを見舞い、守備でも腕の長さを生かしてスティールを連発。だが、最も優れていたのは無尽蔵とも思えるスタミナだった。1年目からチーム最多の総出場時間(2741分)を記録し、2年目には82試合にフル出場、うち17試合は48分間出ずっぱり。平均43.1分のプレータイムはリーグ1位で「あいつは疲れというものを知らん。試合開始直後でも、40分後でも同じようにエネルギッシュなんだ」とネルソンHCも脱帽した。
 

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