ロサンゼルス・レイカーズのレジェンドであるコビー・ブライアントは、20年間の現役生活で数々のハイライトシーンを作ってきた。
そのなかでも、キャリア初期の象徴的なプレーのひとつが1997年のプレシーズンで飛び出した“フェイシャルダンク”だ。かつての同僚で7歳年上の司令塔ニック・ヴァン・エクセルが当時のエピソードを明かしている。
コビーはアレン・アイバーソンやレイ・アレンらと同じ1996年のドラフトでNBA入り。しかし、ルーキーイヤーは同じポジションにエディ・ジョーンズがいたため、シーズンを通してベンチスタートで71試合に出場(うち先発6試合)して平均7.6点、1.9リバウンド、1.3アシストにとどまった。
2年目の1997-98シーズンは平均15.4点、3.1リバウンド、2.5アシストとシックスマンとして台頭するが、開幕前にワシントン・ウィザーズと対戦したプレシーズンゲームでその瞬間は訪れた。
第1クォーター終盤、トップの位置から1オン1を仕掛けたコビーは鋭いクロスオーバーでジミー・オリバーを抜き去る。ゴール下ではのちに最優秀守備選手賞を4回獲得する若き日のベン・ウォーレスが手を挙げて待ち構えていたが、その上から豪快なワンハンドダンクをお見舞い。強烈な一発にベンチの選手たちもタオルを振って喜び、会場も割れんばかりの歓声に包まれた。
コビーが加入した96-97シーズンから2年間共闘したヴァン・エクセルは、『The Players' Tribune』のポッドキャスト『Knuckleheads with Quentin Richardson and Darius Miles』でこの“ポスターダンク”を回想している。
「俺は若き日のコビーを見ている。18、19歳のね。彼は自分が口にしたことをやってのけてみせた。みんな覚えているだろ?ビデオ映像が拡散されているプレシーズンのプレーだ。ベン・ウォーレスは(オフェンス)チャージを取ろうとしていた」
ヴァン・エクセルによれば、コビーはダンク直前、同僚たちに自分がこれから遂行するプレーを“予言”していたという。
「デル(ハリス・ヘッドコーチ)がトップ・オブ・ザ・キーで(コビーに)アイソレーションさせるプランを伝えてタイムアウトが明けた時、コビーは俺たちに言った。『俺はあの間抜けを抜いて、アイツの上からダンクを決めるつもりだ』ってね。これは会話で出た言葉そのものだ。俺たちの反応は『若造が言ってるぞ』って感じだったけど、実際にやってみせたんだ。わずか18歳の時にね」
当時のコビーはまだ駆け出しで、NBA史に名を残すほどの選手になるとは誰も想像できなかった。それでも、10代の若きスコアラーは誰よりも負けん気が強く、自分が思い描いたことは意地でも現実のものとしていたとヴァン・エクセルは振り返る。
「コビーは勝者になりたかった。ベストプレーヤーの1人になりたかった。そして彼はそれを実現させたんだ」
“神様”マイケル・ジョーダンの後継者と呼ばれ、レブロン・ジェームズとともに、史上最高のプレーヤーの議論にも再三挙がってきたコビー。今年1月に不慮のヘリコプター墜落事故に遭い、41歳の若さで帰らぬ人となってしまったが、NBA入り当初からそのポテンシャルはずば抜けていたことがヴァン・エクセルの言葉で改めて実証された。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】20年間パープル&ゴールド一筋!数々の伝説を残した史上最高の“レイカー”コビー・ブライアント特集!
そのなかでも、キャリア初期の象徴的なプレーのひとつが1997年のプレシーズンで飛び出した“フェイシャルダンク”だ。かつての同僚で7歳年上の司令塔ニック・ヴァン・エクセルが当時のエピソードを明かしている。
コビーはアレン・アイバーソンやレイ・アレンらと同じ1996年のドラフトでNBA入り。しかし、ルーキーイヤーは同じポジションにエディ・ジョーンズがいたため、シーズンを通してベンチスタートで71試合に出場(うち先発6試合)して平均7.6点、1.9リバウンド、1.3アシストにとどまった。
2年目の1997-98シーズンは平均15.4点、3.1リバウンド、2.5アシストとシックスマンとして台頭するが、開幕前にワシントン・ウィザーズと対戦したプレシーズンゲームでその瞬間は訪れた。
第1クォーター終盤、トップの位置から1オン1を仕掛けたコビーは鋭いクロスオーバーでジミー・オリバーを抜き去る。ゴール下ではのちに最優秀守備選手賞を4回獲得する若き日のベン・ウォーレスが手を挙げて待ち構えていたが、その上から豪快なワンハンドダンクをお見舞い。強烈な一発にベンチの選手たちもタオルを振って喜び、会場も割れんばかりの歓声に包まれた。
コビーが加入した96-97シーズンから2年間共闘したヴァン・エクセルは、『The Players' Tribune』のポッドキャスト『Knuckleheads with Quentin Richardson and Darius Miles』でこの“ポスターダンク”を回想している。
「俺は若き日のコビーを見ている。18、19歳のね。彼は自分が口にしたことをやってのけてみせた。みんな覚えているだろ?ビデオ映像が拡散されているプレシーズンのプレーだ。ベン・ウォーレスは(オフェンス)チャージを取ろうとしていた」
ヴァン・エクセルによれば、コビーはダンク直前、同僚たちに自分がこれから遂行するプレーを“予言”していたという。
「デル(ハリス・ヘッドコーチ)がトップ・オブ・ザ・キーで(コビーに)アイソレーションさせるプランを伝えてタイムアウトが明けた時、コビーは俺たちに言った。『俺はあの間抜けを抜いて、アイツの上からダンクを決めるつもりだ』ってね。これは会話で出た言葉そのものだ。俺たちの反応は『若造が言ってるぞ』って感じだったけど、実際にやってみせたんだ。わずか18歳の時にね」
当時のコビーはまだ駆け出しで、NBA史に名を残すほどの選手になるとは誰も想像できなかった。それでも、10代の若きスコアラーは誰よりも負けん気が強く、自分が思い描いたことは意地でも現実のものとしていたとヴァン・エクセルは振り返る。
「コビーは勝者になりたかった。ベストプレーヤーの1人になりたかった。そして彼はそれを実現させたんだ」
“神様”マイケル・ジョーダンの後継者と呼ばれ、レブロン・ジェームズとともに、史上最高のプレーヤーの議論にも再三挙がってきたコビー。今年1月に不慮のヘリコプター墜落事故に遭い、41歳の若さで帰らぬ人となってしまったが、NBA入り当初からそのポテンシャルはずば抜けていたことがヴァン・エクセルの言葉で改めて実証された。
構成●ダンクシュート編集部
【PHOTO】20年間パープル&ゴールド一筋!数々の伝説を残した史上最高の“レイカー”コビー・ブライアント特集!