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NBA

その守備力はバード曰く「最高のディフェンダー」。選手、指導者、そして人間として絶賛されたクーパーの物語【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.09.08

引退後はHCに転身。プロアマ問わず指揮を執り、舌ガンを患った後もそれを乗り越えWNBAでコーチを務めた。(C)Getty Images

引退後はHCに転身。プロアマ問わず指揮を執り、舌ガンを患った後もそれを乗り越えWNBAでコーチを務めた。(C)Getty Images

■わずか2試合の先発出場で最優秀守備選手賞に輝く

 得意のディフェンスに磨きをかけ、ロサンゼルス・レイカーズの主力選手へと成長したマイケル・クーパー。当初は不得手だったアウトサイドシュートも、猛練習を重ねて次第に上達させ、1984、87年には3ポイント成功数でリーグ2位につける。チームメイトにスコアラーのカリーム・アブドゥル・ジャバーやジェームス・ウォージーがいたため、クーパーが高得点をあげるゲームはそれほど多くなかったものの、チャンスが巡ってくれば高い確率でシュートを沈めた。

「彼は本当に何でもこなせる。スウィングマン、司令塔、シューター、そしてストッパーでもあるんだ」とジャバーが評せば、パット・ライリー・ヘッドコーチ(HC)も「すべての要素を兼ね備えたパーフェクトなプレーヤー」と語るなど、クーパーの万能性を称賛する言葉は引きも切らなかった。

 選手層の厚いレイカーズにおいてはシックスマンの立場に甘んじていたが、彼が不満を口にすることはなかった。

「憧れだったジョン・ハブリチェック(元ボストン・セルティックスのスター選手)もシックスマンだったからね。それに、この役割は自分に合っているとも思うんだ」とクーパー。地元ファンも彼の価値は十分過ぎるほどわかっていて、ホームコートのザ・フォーラムでは、クーパーがコートに送り込まれるたびに大歓声が沸き起こった。
 
「稀に見る実直な男。シーズン中でも絶えず地域活動をしていて、恵まれない子どもたちに手を差し伸べていた」とマジック・ジョンソンが証言するように、人間性も素晴らしく、1986年にはシチズンシップ賞(最も社会奉仕活動に従事した選手に贈られる賞)を受賞。また、特に親しかったマジックやバイロン・スコット以外の同僚とも良好な関係を築いており、年に2度チームメイト全員を自宅に招き、ワンダ夫人お手製のシチューを振る舞うのが恒例となっていた。

 1980-81シーズンからは8年連続でオールディフェンシブチーム入りを果たし、うち5回は1stチームに選出。1987年には先発出場がわずか2試合だったにもかかわらず、最優秀守備選手賞に輝いている。

「僕がバスケットボールをしている理由はただひとつ。勝つためだ。そのためなら何だってする。ラリー・バード(元セルティックス)やマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)とマッチアップしている時、自分はまさにこの瞬間のために生きているんだって思えるのさ」

 クーパーに言わせれば、ジョーダンよりもバードの方が抑えるのが難しい選手だったとのこと。逆にバードからも「これまで対戦したなかで最高のディフェンダー」と絶賛されている。
 
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