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NBA

現代ビッグマンの原型を築いた男。“アンクル・クリッフィー”ロビンソンに今一度脚光を【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.09.12

ドラフトでは2巡目指名に甘んじたロビンソンだが、ブレイザーズで成長を遂げ、オールスターにまで上り詰めた。(C)Getty Images

ドラフトでは2巡目指名に甘んじたロビンソンだが、ブレイザーズで成長を遂げ、オールスターにまで上り詰めた。(C)Getty Images

 長きにわたって第一線で活躍しながら、正当な評価を得られない──。クリフォード・ロビンソンは、そうした“見過ごされた実力者”の1人だ。しかし、今では当たり前になったヘッドバンドを20年以上も前から着用し、現代ビッグマンの原型とも言えるプレースタイルを築き上げた彼は、地味ながらも時代を先取りした名プレーヤーであった。今年8月29日に53歳の若さで他界した名脇役に、改めてスポットライトを当てる。

   ◆   ◆   ◆

■ドレクスラーを押しのけてスコアリングリーダーに――

 208cmの長身ながらシュートレンジが広く、身体能力の高さやフロントコートの3ポジションを同じように守れる多才さも光った。入団4年目の1992-93シーズンには、平均得点を19.1点にまで伸ばしてシックスマン賞を受賞。「うちのビッグマンでは最高のディフェンダーだし、攻撃面のポテンシャルも計り知れない。いかにも90年代の選手って感じだね」と、エースのドレクスラーからも称賛される存在となったのだ。

 とはいえ、ロビンソンは決してシックスマンの座に満足していたわけではなかった。

「誰だって控えで嬉しいはずがない。今日はどれだけ出場時間がもらえるか、何回ミスをしたら代えられてしまうのかって、いつも気が気じゃないんだからね」

 練習では先発SFのジェローム・カーシーと激しいバトルを演じ、互いに感情が昂ぶり過ぎてケンカに発展することもしばしばだった。
 
 当時のリック・アデルマンHCは「本当にリアルな戦いだった。2人とも何の遠慮もなくぶつかっていたからね。あの激しい練習を通じて、彼らはお互いを高め合っていたんだ」と回想している。

 その後、ケビン・ダックワースが退団した93-94シーズンからはセンターとして先発出場する機会が増え、オールスターにも選出されたロビンソン。3ポイントも積極的に打つようになり、プレーの幅を広げていった。すると、このシーズンから3年連続で平均20点の大台を超え、ついにはドレクスラーを押しのけてチームの得点王となる。当時シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)のHCだったジョージ・カールも「ドレクスラーには悪いが、今やロビンソンがブレイザーズのベストプレーヤーだ」と、敵将ながらその実力に太鼓判を押した。

 97年にFAとなってフェニックス・サンズへ移籍してからも、ロビンソンは中心選手として活躍を続ける。何よりもケガに強いのが魅力で、最初の15年間でフル出場が8回、欠場はわずか19試合のみ。98年にはヒザの手術をしたが、ちょうどロックアウト期間中で、2月のシーズン開幕後は1試合も休まなかった。
 
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