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NBA

シャックの才能を開花させた名将コーチの存在。そしてコビーとのレイカーズ無敵時代へ…【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.09.19

リングに手が届かなかった90年代後半。そして、名将コーチとの出会いがシャックの才能を開花させる。(C)Getty Images

リングに手が届かなかった90年代後半。そして、名将コーチとの出会いがシャックの才能を開花させる。(C)Getty Images

■レイカーズ移籍4年目で初のチャンピオンに

 プロ3年目に初の得点王に輝き、チームもファイナルに進出。しかし、オラジュワン率いるロケッツに4連敗を食らう。順調すぎるキャリアの中で味わった初めての挫折だった。

 これをバネにして練習に励み、さらなる高みを目指す……とはならなかったのがオニールらしいところで、95-96シーズンは故障もあって成績がダウン。シーズン終了後FAとなると、アトランタ五輪参加中に、ロサンゼルス・レイカーズと7年1億2000万ドルで契約したことを発表した。

 中小都市のオーランドより大都会のロサンゼルスを選択したのは、ハリウッドに近く、芸能活動にも都合がいいこともあって、彼にとっては当然だったのだろう。

 しかし、いつでも取れると思っていたリングはなかなか手に入らなかった。97年はカンファレンス準決勝でユタ・ジャズに敗退、翌98年はカンファレンス決勝で同じくジャズに屈辱のスウィープ。99年もカンファレンス準決勝で、今度はサンアントニオ・スパーズにスウィープされた。

 この頃には、すっかり“次世代のジョーダン”の看板も色あせていた。他ならぬジョーダンが95年に復帰し、翌年から2度目の3連覇を達成。レイカーズ内ですら、新進気鋭のコビーの台頭により地位は安泰でなくなった。芸能活動での人気もフェードアウトしていき、本業で結果を出すしかない状態に追い込まれた。
 
 その意味でも、99年にフィル・ジャクソンがレイカーズのヘッドコーチに就任したのは、オニールにとっては最高の出来事だった。初対面でジャクソンはオニールに「君がMVPになれない理由なんてない。真面目に仕事に取り組めばの話だが」と言い渡した。

 選手を決して甘やかさず、それでいて感情的に怒鳴りつけることもなく、示唆に富んだアドバイスを送ることのできるジャクソンは、オニールを制御するには完璧な人材だった。

 この名将の下で、ついにオニールは全面的に才能を開花させる。自己最高の平均29.7点で2度目の得点王、年々減り続けていたリバウンドも13.6本にまで戻し、新人時代以来最高の数字を記録。ジャクソンの予言どおりMVPに選ばれた。

 リーグ最多の67勝をあげたレイカーズは、ファイナルでインディアナ・ペイサーズを退け12年ぶりの王座に就く。ファイナルMVPに選ばれたのは全試合で30点以上、平均38点をあげたオニールだった。プロ入り8年目、当初の期待からすれば遅すぎた栄冠だった。

 以後3年間、オニールは名実ともにNBAの王者として君臨する。01年ファイナルはフィラデルフィア・76ersを5戦で退け、02年はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツを軽々とスウィープ。いずれの年もファイナルMVPに輝いた。3年連続の受賞はジョーダン以来史上2人目(3度目)。この頃のオニールはまさしく“無敵”。行くところ可ならざるはなしといった感があった。
 

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