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バスケW杯

神童と呼ばれたリッキー・ルビオがワールドカップMVPで得た大きな自信と経験

小川由紀子

2019.09.22

2011年にNBAデビューを飾ったルビオ。1年目は41試合に出場し平均10.6点・8.2アシストをマークしたが、その後は伸び悩んだ。(C)Getty Images

2011年にNBAデビューを飾ったルビオ。1年目は41試合に出場し平均10.6点・8.2アシストをマークしたが、その後は伸び悩んだ。(C)Getty Images

 目の前に、リッキー・ルビオが20歳の時にインタビューした『ダンクシュート』がある。2011年、この頃はまだ、あどけなさの残る少年だった。ヒゲをたくわえ、侍のような風貌でコートを駆けていたワールドカップでのルビオとは、まるで別人だ。

 2009年のドラフトでミネソタ・ティンバーウルブズに5位指名を受けたルビオは、そのシーズンオフにバルセロナに移籍した。前所属クラブのホベントットとのバイアウト問題などもあったが、ルビオ自身がヨーロッパの強豪でさらに経験を積むことを選んだからだ。そして前述のインタビューが行なわれた少し前、2011-12シーズンからNBAに行くことを発表したのだった。

 彼は決断の理由を、「NBAに挑戦する準備ができたから」と語った。2010-11シーズン、ルビオはバルセロナの主力選手として、念願だったACBリーグ(スペインの国内リーグ)を制した。前年にはユーロリーグ、そしてスペイン代表では欧州選手権で優勝(2009、2011)を果たした彼にとって、「海を越える前に欲しかった最後のトロフィー」がようやく手に入った。その充実感が、決断を大きく後押しした。
 そんな満を持してのNBA挑戦だったが、デビューシーズンの3月にレイカーズのコビー・ブライアントと接触してヒザの靭帯を負傷し、閉幕を待たずに終了。ルーキーイヤーは41試合で平均10.6点、8.2アシスト、2.2スティールという数字を残し、オールルーキー1stチームに選出されたが、その後のルビオのNBAでの活躍は、14歳でプロデビューし、神童と呼ばれた男にしてはやや寂しいものだった。

 アメリカ発の評論のなかには、「ルビオはティーンエイジャーでピークを迎え、すでに下り坂にある」と書いたものさえあった。

 その大きな理由が、ルビオのシュート力の低さだった。特にミドルレンジのジャンパーや3ポイントが不得手で、フィールドゴール成功率は30%台前半。それは彼自身、子どもの頃からバスケの楽しみをパスやディフェンスに見出していて、その強みを武器に渡り歩いてきたからでもあった。

 しかし、現在のバスケ界、とりわけアメリカでは、コート上の全員が高いシュート力を備えていることは必須。特にポイントガードの得点力は肝とさえ言える。加えて、ルビオはもとよりスピードなど、アスレティック能力が傑出しているわけではない。

 6シーズンを過ごしたティンバーウルブスを去り、17年に移籍加入したユタ・ジャズでも彼の評価は変わらなかった。「バスケIQが高く、コートビジョンが広い」という特性は誰もが認めつつも、「パスの上手いプレーヤー」という域を出るには至らなかった。
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