■プロ入り後に壁にぶち当たるも、1986年のプレーオフで優勝に貢献
大学卒業後は野球に専念するつもりで、NBAからの誘いは断っていたダニー・エインジ。しかし、MLBトロント・ブルージェイズで過ごした3年間の成績は、出場211試合で打率は2割2分、2本塁打と頭打ち状態。「メジャーリーグのキャンプ期間中にNCAAトーナメントに出場していなかったら、もっと良い成績を収められただろう」という声もあったが、それでもバスケットボールと野球、どちらのスポーツでより才能を発揮できるのかは、次第に明白になっていった。
1981年のNBAドラフトでも、マーク・アグワイア(デポール大)、アイザイア・トーマス(インディアナ大)に次ぐ3番目の評価を得ていた。しかしながら、ブルージェイズとの契約にプロバスケットボールでのプレーを禁止する条項があったため、どの球団も指名を回避。それでも2巡目31位でボストン・セルティックスが指名に踏み切ると、その3日後には野球界から引退する意向を表明した。
「ほかのチームからの指名だったら野球を続けていたかもしれない。でも、歴史あるセルティックスの一員になれるチャンスを逃すわけにはいかなかった」
ブルージェイズは法廷闘争に持ち込んだが、最終的にはセルティックスがブルージェイズに50万ドルを支払うことで和解。こうして二刀流にピリオドが打たれた。
ただ「NBAではすぐにスターになれると思っていた」というエインジは、すぐ現実の厳しさを思い知らされる。
「チームのエースだったラリー(・バード)がウイングでボールを持っていた時、絶好のタイミングでポストに入ってパスを貰おうとしたら『邪魔だからどけ』って言われてね。それでも懲りずに同じことをしたら『何度言えばわかるんだ?俺がボールを持っている時は、ウィークサイドに立っていろ』って怒鳴られたよ」
2年目には先発に定着して平均9.9点をあげたが、翌1983-84シーズンはデニス・ジョンソンの加入によって控えに降格。チームは優勝したものの、バスケットボール人生で初めて壁にぶち当たったエインジは“野球を捨てた選択が本当に正しかったのか”と、深く思い悩む日々を過ごしたという。
大学卒業後は野球に専念するつもりで、NBAからの誘いは断っていたダニー・エインジ。しかし、MLBトロント・ブルージェイズで過ごした3年間の成績は、出場211試合で打率は2割2分、2本塁打と頭打ち状態。「メジャーリーグのキャンプ期間中にNCAAトーナメントに出場していなかったら、もっと良い成績を収められただろう」という声もあったが、それでもバスケットボールと野球、どちらのスポーツでより才能を発揮できるのかは、次第に明白になっていった。
1981年のNBAドラフトでも、マーク・アグワイア(デポール大)、アイザイア・トーマス(インディアナ大)に次ぐ3番目の評価を得ていた。しかしながら、ブルージェイズとの契約にプロバスケットボールでのプレーを禁止する条項があったため、どの球団も指名を回避。それでも2巡目31位でボストン・セルティックスが指名に踏み切ると、その3日後には野球界から引退する意向を表明した。
「ほかのチームからの指名だったら野球を続けていたかもしれない。でも、歴史あるセルティックスの一員になれるチャンスを逃すわけにはいかなかった」
ブルージェイズは法廷闘争に持ち込んだが、最終的にはセルティックスがブルージェイズに50万ドルを支払うことで和解。こうして二刀流にピリオドが打たれた。
ただ「NBAではすぐにスターになれると思っていた」というエインジは、すぐ現実の厳しさを思い知らされる。
「チームのエースだったラリー(・バード)がウイングでボールを持っていた時、絶好のタイミングでポストに入ってパスを貰おうとしたら『邪魔だからどけ』って言われてね。それでも懲りずに同じことをしたら『何度言えばわかるんだ?俺がボールを持っている時は、ウィークサイドに立っていろ』って怒鳴られたよ」
2年目には先発に定着して平均9.9点をあげたが、翌1983-84シーズンはデニス・ジョンソンの加入によって控えに降格。チームは優勝したものの、バスケットボール人生で初めて壁にぶち当たったエインジは“野球を捨てた選択が本当に正しかったのか”と、深く思い悩む日々を過ごしたという。
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