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NBA

1994年ファイナルに敗れて以降、徐々に衰退したユーイングとスタークス。そして訪れたあまりにも悲しい末路【NBAデュオ列伝・後編】

出野哲也

2020.10.07

1994年、ユーイング(右)とスタークス(左)は揃ってオールスターに出場した。(C)Getty Images

1994年、ユーイング(右)とスタークス(左)は揃ってオールスターに出場した。(C)Getty Images

 1993年のプレーオフ・イースタン・カンファレンス決勝。ニューヨーク・ニックスはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを相手に2連勝を飾るも、その後4連敗を喫しファイナル進出はならなかった。

 しかし、その年のオフにジョーダンが突然引退し、千載一遇のチャンスが巡ってくる。ジョン・スタークスは自己最高の平均19.0点をマークし、オールスターにも出場。3年連続で地区優勝を果たしたニックスは、カンファレンス決勝でインディアナ・ペイサーズと激闘を繰り広げた。

 3勝3敗で迎えた第7戦、残り26.9秒の場面。スタークスのシュートがこぼれた所をパトリック・ユーイングが押し込み、これが決勝点に。最後はスタークスがダメ押しのフリースローを沈め、念願のNBAファイナル進出を決めたのだった。

 ファイナルの対戦相手は、アキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツ。3勝2敗と王手をかけて臨んだ第6戦、この試合27得点と爆発したスタークスが最後のシュートを放つ。だが、入れば優勝を決めたはずのそのシュートは、オラジュワンにブロックされた。

「あの時はパトリックがオープンになっていた。ジョンが正しい判断をしていれば…」

 そう悔しがったパット・ライリー・ヘッドコーチ(HC)。結局84-86で敗れ、勝負は最終第7戦に持ち込まれた。
 
 だが迎えた大一番、スタークスは信じられないほど不調だった。実に18本中16本のフィールドゴールを外し、3ポイントは11回試みてすべて失敗。もともと「大豊作か大飢饉のどちらか」とライリーに言われるほど波の激しいシューターだったが、よりによって最も大事な試合で大飢饉になってしまったのだ。

 ユーイングもシリーズを通じて精彩を欠き、平均18.9点、フィールドゴール成功率は36.3%と低調なパフォーマンス。第7戦も17得点とスタークスの不調を埋めきれず、あと一歩のところでニックスは王座を逃してしまった。

 試合後、スタークスは長い時間シャワールームに閉じこもって出てこなかった。彼にとっても、ユーイングにとっても、この試合は大きな傷を残した。

「何度も頭の中で思い返したよ。一生ついてまわるだろうね。今でも、あの試合のことをパトリックと話すことはないよ」

 スタークスが苦い表情で振り返れば、ユーイングも「俺たちは負けた。ただそれだけさ」と語るのみだった。
 
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