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人口300万人の小国からNBAの永久欠番選手へ。一時はバスケに挫折しかけたジードルナス・イルガスカスの少年時代【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.10.12

一時は挫折しかけたイルガスカスだが、そこからNBAで永久欠番選手となるまでに上り詰めた。(C)Getty Images

 本場アメリカ以上にバスケットボール熱が高いと言われるリトアニア。この人口およそ300万人の小国が生んだビッグマンが、長年にわたってクリーブランド・キャバリアーズで活躍したジードルナス・イルガスカスだ。ソビエト連邦からの独立運動の渦中を生き、度重なるケガに泣かされながらも、背番号11が永久欠番となるまでの存在となった男の半生を辿る。

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 アメリカ生まれのスポーツであるバスケットボールだけに、当然かの地ではプロ・アマを問わず大変な人気を誇っている。けれども、世界を見渡せばもっとバスケットボールに熱中している国がある。アジアで言えばフィリピン、ヨーロッパならリトアニアがそれに当たるだろう。

 とりわけリトアニアは、人口300万人に過ぎない小国でありながら、旧ソビエト連邦(ソ連)時代から伝説的スーパースターのアルビダス・サボニス(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)をはじめ、代表チームのメンバーを数多く送り出し、今でもサッカーなどを抑えてバスケットボールが人気No.1の座を維持している。
 
 その理由を、リトアニア生まれのジードルナス・イルガスカスはこう説明する。

「第一次大戦のあと、多くのリトアニア人がアメリカに移住してバスケットボールを覚えた。その後、彼らが祖国に戻って来てヨーロッパ選手権で大活躍し、国の誇りになったのが始まり。この国じゃ、バスケットボールはカトリック教会と同じくらい影響力があるんだよ。弁護士や医者になった連中も、小さい頃はみんなバスケットボールの選手を目指していたんだ」

■バスケットボールプレーヤーへの道を諦めかけた頃に起こった"血の日曜日"事件

 イルガスカス自身も早い時期からバスケットボールに親しみ、その素質を認められた彼は、年上の子どもたちに交じってプレーしていた。ただ、NBA時代のイルガスカスを知る者には信じられないことに、幼い頃は背が低いほうで、もっぱらポイントガードを務めていたという。
 
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一時はバスケを諦めかけた日も…