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明るくユーモラスな性格と“最上級の人間性”で、誰からも愛された“ビッグZ”イルガスカス【NBA名脇役列伝・後編】

出野哲也

2020.10.13

2007年にはレブロンとともにキャブズを初のファイナルへと導いた。(C)Getty Images

■相次ぐケガに泣かされながらも、2007年にはファイナルに到達

 1992年のバルセロナ五輪でロシアを軸とするCIS(独立国家共同体)を破ったリトアニア。母国の奮闘を観たイルガスカスも、もちろん4年後のアトランタ五輪に出場するつもりでいた。

 1994年には念願叶って初めて代表チームの一員に。その221cmの長身に似合わぬ柔軟なシュートタッチと基本に忠実なプレースタイルは、母国の英雄アルビダス・サボニス(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)からも「リトアニア・バスケットボール界の未来」と賞賛されたものだった。

 NBAのスカウトからも高く評価されたイルガスカス。1995年に右足のケガで1年を棒に振り、結局1996年のアトランタ五輪の代表からは漏れてしまったにもかかわらず、同年のドラフトでクリーブランド・キャバリアーズから1巡目20位で指名を受けたほど、彼の才能は図抜けていた。
 
 しかし、ドラフトから数か月後に再び足を痛め、NBA1年目は1試合も出場できずに終わる。"キャブズはとんでもない買い物をしたのではないか"と一部で囁かれもしたが、イルガスカスにとってこの時期はアメリカに慣れるための大切な時間となった。1日3時間のレッスンで英語をマスターし、さらに地道な筋力トレーニングで体重を10kg以上増やすなど、NBAで戦う準備を着々と整えたのだ。

 ユーモアに富み、明るい性格のイルガスカスはすぐさまチームに溶け込んだ。当時のチームメイトだったスコット・ブルックスが、「カリフォルニアにいる妻ともう4週間も会ってない」と愚痴をこぼすと、「心配ないよ。夕べ彼女と話した時は元気そうだったぜ」とジョークで返し、また近所に住むボブ・スーラの家に感謝祭で招かれた時にはこんな失敗談も。

「普段キャブズの選手たちが使っている言葉で話したら、彼の家族が目を丸くしてね。それがどんなに汚い言葉使いなのか知らなかったから」

 故障が癒え、実戦デビューを果たした2年目の1997 -98シーズンは平均13.9点、8.8リバウンドをマーク。オフェンシブ・リバウンド279本はリーグ4位の成績で、オールルーキー1stチームにも選出された。
 
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故障体質を克服し、レブロンとともにキャブズをファイナルへ導く