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NBA

伝説となった“ドリームチーム”の軌跡ーーそして世界中にバスケット“バブル”が生まれた【五輪史探訪|1992年バルセロナ後編】

出野哲也

2019.11.07

ドリームチームは圧倒的な強さで表彰台の頂点に。この大会以降、バスケ人気は全世界で飛躍的に高まっていった。(C)Getty Images

ドリームチームは圧倒的な強さで表彰台の頂点に。この大会以降、バスケ人気は全世界で飛躍的に高まっていった。(C)Getty Images

〝ドリームチーム〞に沸いた90年代。このチームが圧倒的な強さで勝ち上がった頂点までの軌跡を辿る。全試合で100点以上を記録したのはオリンピック史上初。文字通り伝説となった。バルセロナ五輪を振り返る。

    ◆    ◆    ◆

 92年の6月から、カリフォルニア大サンディエゴ校においてアメリカ代表の合同練習が始まった。レイトナーは大学バスケ界の、そして彼以外の11人は3名のシーズンMVP受賞者を含め、正真正銘NBAのスーパースターたち。『スポーツイラストレイテッド』誌が命名した〝ドリームチーム〞の名にふさわしい顔ぶれだった。

 しかし、この夢のチームは同月24日に行なわれた練習試合で、なんと学生選抜に敗れてしまう。あくまでも練習の一環であり、さらに相手はクリス・ウェバーやグラント・ヒル、ペニー・ハーダウェイといった、のちにNBAで活躍するメンバーが揃っていたとはいえ、スター軍団にとっては屈辱的な出来事だった。

 気合いを入れ直したドリームチームは、翌日の試合で学生選抜に56点差をつけ圧勝。「油断は大敵であること」「だが真剣に取り組みさえすれば無敵であること」。学生選抜との2試合は、彼らにふたつの教訓を与えてくれた。
 
 6月末から始まったアメリカ予選は6戦全勝。一番点差の少なかったプエルトリコ戦でさえ38点もの差をつけ、易々と本選出場の切符を手にする。モナコでの合宿――ゴルフとカジノ、レーニエ大公との食事会、そして伝説となったジョーダン・チーム対マジック・チームの紅白戦を経て、いよいよバルセロナへと旅立った。

 この大会では、プロ選手解禁以外にも大きな動きがあった。前年の91年12月にソビエト連邦が解体されたため、ソ連代表に主力を多数送り出していたリトアニアが独立国として出場。ロシアを中心とする、独立しなかった旧ソ連の構成国はCIS(独立国家共同体)名義で参加した。

 一方、ユーゴスラビアからも91~92年にかけてクロアチアなど4か国が独立。ソウル五輪でユーゴスラビア代表として一緒に戦ったメンバーのうち、ドラゼン・ペトロビッチやトニー・クーコッチはクロアチア代表として出場したが、ブラデ・ディバッツを擁するセルビアは、内戦の影響により出場停止処分に。こうして前回大会の金・銀メダル獲得国が弱体化したのも、アメリカにとって追い風となった。
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次元の違う強さ、そしてVIP待遇とコート内外でドリームチームは注目の的に

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