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NBA

"ドリームチーム"結成の引き金になった屈辱のソウル五輪の真実。アメリカのプライドが崩れた日――

出野哲也

2019.11.09

アマチュア選手のみで構成されたアメリカ代表は、1988年のソウル五輪でソ連の前に敗北を喫した。(C)Getty Images

アマチュア選手のみで構成されたアメリカ代表は、1988年のソウル五輪でソ連の前に敗北を喫した。(C)Getty Images

 バスケットボールがオリンピック競技になったのは、1936年のことである。舞台はアドルフ・ヒトラーが支配していた頃のドイツ・ベルリン。アメリカの黒人スプリンター、ジェシー・オーウェンスが4個の金メダルを獲得し、アーリア人種の優越性を誇示しようと目論んでいたヒトラーが苦虫を嚙み潰したことで有名な大会だ。

 その陰で、大して注目もされなかったバスケ競技はアメリカが優勝を飾った。以降、72年のミュンヘン大会でソビエト連邦(以下ソ連)に敗れたのと、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する抗議で大会をボイコットした80年のモスクワ大会を除き、常にアメリカは表彰台の中央を占めていた。ミュンヘンでの敗戦は有名な“疑惑の判定”が原因と考える多くのアメリカ人は、「実力では一度も負けていない」と自負を抱いていた。
 
 だが、そんなプライドが崩れ去る日がついに訪れた。76年のモントリオール以来、3大会ぶりに米ソ両国が揃った88年のソウル五輪において、アメリカ代表は準決勝でソ連に屈し、銅メダルの屈辱に塗れたのである。

 ジョージタウン大のジョン・トンプソンがHC(ヘッドコーチ)を務めた代表の中心は、87年に海軍士官学校を卒業したデイビッド・ロビンソンだった。同年のNBAドラフトでスパーズから1位指名されていた逸材は、軍務を全うするために入団を先延ばしにしており、まだプロ選手に門戸を開いていなかった五輪に参加する資格を残していた。

 ほかにも88年のNCAAトーナメントで優勝したカンザス大のエースで、同年にクリッパーズから1位指名を受けたダニー・マニングも代表入り。シクサーズが3位指名したピッツバーグ大のチャールズ・D・スミス、5位でウォリアーズに指名されたミッチ・リッチモンド(カンザス州大)、ブラッドリー大のハーシー・ホーキンス(6位/クリッパーズ)らもメンバーに名を連ねた。

 12人中11人がドラフト指名を受けたスター予備軍。86年の世界選手権でソ連を倒していたケニー・スミス(当時キングス)は「彼らと戦わなきゃならないなんて、ロシア(=ソ連)の連中はショックだろう」と、アメリカの金メダル獲得を信じて疑わなかった。
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