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NBA

伝説となった“ドリームチーム”の軌跡ーーそして世界中にバスケット“バブル”が生まれた【五輪史探訪|1992年バルセロナ後編】

出野哲也

2019.11.07

ジョーダンをはじめNBAのスーパースターたちが魅せた美技の数々に、世界中のファンが酔いしれた。(C)Getty Images

ジョーダンをはじめNBAのスーパースターたちが魅せた美技の数々に、世界中のファンが酔いしれた。(C)Getty Images

 これまでのオリンピックではあり得なかったほど、バスケットボール競技が大きな注目を集めたバルセロナ五輪。もちろんその理由はドリームチームだが、メンバーの豪華さだけではなく、その特別待遇ぶりも話題になった。

 混乱を避ける意味や警備上の問題もあって、彼らは選手村でなくバルセロナ市内の高級ホテルを貸し切って滞在。ドリームチーム目当てに多くのファンが押しかけ、指揮官のチャック・デイリー曰く「エルビス(プレスリー)とビートルズを一緒にしたような大騒ぎ」が巻き起こった。

 これでは他の種目、出場国の選手たちと交流できるわけもなく、オリンピック精神を欠いているという批判も聞かれた。もっとも、試合のない日はゴルフ場に入り浸るか、対戦相手の研究に余念のなかったジョーダンとは対照的に、バークレーは護衛も付けずに街へと繰り出し、ファンと積極的に交流。「アメリカが送った最高の外交使節」と言われていた。
 
 しかし一番の注目の的は、言うまでもなくドリームチームによる華麗なプレー、そして圧倒的な強さだった。グループAに入ったアメリカは、予選ラウンド初戦の相手となったアンゴラを116-48と叩きのめす。肘打ちをかましたバークレーの〝フィジカル〞なプレーは賛否を集めたが、100%の力を出すまでもなく完勝。またアンゴラのメンバーにとっても最初から勝負は眼中になく、伝説の選手たちと戦えること自体が楽しみであり、試合中に記念撮影に興じる有様だった。

 2戦目は強敵のクロアチアだったが、これも33点差をつけ勝利。以降も結果は同じで、ホスト国スペインも相手にならず。世界中の人々がこれまで観ていたものとは次元の違うバスケットボールが、そこでは繰り広げられていた。

 決勝トーナメントでもアメリカの覇道を阻む国は現われず、準々決勝ではプエルトリコを一蹴。続く準決勝はグループBを4勝1敗で勝ち抜いたリトアニアとあって、楽な戦いにはならないかと思われたが、かえって気合いが入ったか、51点の大差をつけ粉砕した。
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