NBA

NBAドラフトの黒歴史?チームの期待を裏切った上位指名“大ハズレ”選手番付|後編

ダンクシュート編集部

2020.11.19

サビート(左上)は1年目の平均3.1点、3.6リバウンドがキャリア最高、モリソン(左下)は2年目にケガを負い急降下。ミリチッチ(右)はカーメロやウェイドより先に指名されたが鳴かず飛ばず、10年間で6チームを渡り歩いた。(C)Getty Images

 ドラフトで上位指名されたからといって、将来が約束されるわけではない。なかには、チームやファンの期待を大きく裏切った"背信"の高順位選手も存在する。そんなハズレ選手たちの番付の後編をお届けしよう。

前頭四枚目/ハシーム・サビート(2009年2位)
 身長221㎝のタンザニアンは、NBAとDリーグ(現Gリーグ)の往復を繰り返し、まったくと言っていいほど期待に応えることができなかった。平均得点は15人中最低の2.2点。さらには、同じドラフト組の3位以降にジェームズ・ハーデンやステフィン・カリーといった、現在のリーグを代表する名選手が顔を揃えているだけに、ガッカリ感もひとしおである。2017-18シーズンは日本のBリーグ、横浜ビー・コルセアーズでプレーし、その後Gリーグに復帰するも1年で解雇、来シーズンは台湾リーグでプレーする。

前頭三枚目/アダム・モリソン(2006年3位)
 ゴンザガ大でNCAAの得点王に輝き(平均28.1点)、"ラリー・バード2世"と称されたたモリソンは、ボブキャッツ(現ホーネッツ)の共同オーナーとなったジョーダンの肝いりで3位指名を受けた。プロ1年目はそこそこの成績を残したが(平均11.8点)、2年目はヒザのケガに見舞われ全休。その後、ものすごい勢いで下り坂を転げ落ちていった。3年目の途中にレイカーズへトレードされ、翌シーズン終了後に解雇されるまでの平均成績は2.2点、1.0リバウンド。プレー以上に、あの味わい深い髪型が印象に残っている。
 
前頭二枚目/マイケル・オロウォカンディ(1998年1位)
 クワミ・ブラウンとともに"失敗ドラ1"の象徴的存在となっている"ザ・キャンディマン"ことオロウォカンディ。NBA在籍9年、キャリア平均8.3点、6.8リバウンドは、ドラ1にしては全然物足りないものの、そこまでボロクソに言われるレベルでもない。だが98年は豊作で、2位以下にダーク・ノビツキーやポール・ピアース、ヴィンス・カーターといった優秀な選手がひしめいていたことも、オロウォカンディのハズレイメージに拍車をかけた。まあ実際ダメダメだったが。

前頭筆頭/ダーコ・ミラチッチ(2003年2位)
 究極のダメ外国人選手。カーメロ・アンソニーやドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュらを差し置いて、レブロンに続き2位で指名されたが、鳴かず飛ばずのまま10年間で6チームを渡り歩いた。祖国セルビアに戻り、キックボクサーの道に進むも、デビュー戦で黒星を喫すると格闘技から速攻で足を洗い、翌年セルビアのプロバスケットボールリーグへの復帰を宣言。その後心変わりをして復帰を撤回する。現在は農業に従事し、東京ドーム10個分という広大なリンゴ農園を経営しているという。このわけのわからなさ、次の三役候補か。