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【NBA名脇役列伝・前編】レックス・チャップマン――高校、大学とスター街道を歩んだ男にNBA入りを決断させた“差別”の横行

出野哲也

2020.12.13

高校、大学で華々しい活躍を見せたチャップマンだが、差別の横行する環境に嫌気が差したことも、早期にNBA入りを決断した理由だったという。(C)Getty Images

 高校時代、そして名門ケンタッキー大での華やかな活躍ぶりを思えば、ケガにも苦しんだプロでのキャリアは、少々物足りなかったかもしれない。しかし、レックス・チャップマンという選手をよく知らなくても、1997年のプレーオフで彼が決めた劇的な一撃を覚えているファンは多いはずだ。NBAの歴史に刻まれる、文字通りのスーパーショットであった。

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 ケンタッキー大は、大学バスケットボール界でも屈指の名門校である。NCAAトーナメントの優勝は8回を数え、その人気は州内にとどまらず、同大学だけをテーマにした百科事典が存在するほどだ。昨季のNBAでもアンソニー・デイビス(ロサンゼルス・レイカーズ)、デビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)ら26人ものOBがプレーした。

 レックス・チャップマンもまた、そんな名門大学の歴史の1ページを飾った名選手の1人だ。エキサイティングなプレースタイルで人気を博し、付いたあだ名は"キング・レックス"。2012年にファン投票でケンタッキー大史上最高の選手を選んだ際には堂々6位にランクされ、「才能にかけては、ほかのどの選手にも引けをとらない」と評された。
 
■高校・大学で華々しい活躍。しかし差別に嫌気が差して……

 少年時代のチャップマンが、最も熱心に取り組んだスポーツは水泳であった。特に平泳ぎが得意だったが、それでも彼の体内にはバスケットボール選手の血が、生まれながらに息づいていた。

 父ウェインは高校時代から名の知れた選手で、ケンタッキー大に奨学金をもらって進学。ウエスタン・ケンタッキー大に転校したのち、ABAのケンタッキー・カーネルズでもプレーし、引退後はアポロ高校のコーチとなった。

 1978年にウェイン率いるアポロ高が連勝街道を突っ走っていた際には、当時10歳のレックスも「1個のファウル、1回のミスショットでも胸が張り裂けそうになるくらい、肩入れして見ていた」という。そして、アポロ高が州大会でついに敗れた時、チャップマンはその仇を自ら討とうと決めた。この日から、彼にとってバスケットボールが何よりも重要なものに変わったのだ。
 
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高校生の時点で、全米にその名が知れ渡る