NBA入り後の成績は一切考慮せずに、カレッジ時代のパフォーマンスだけで選手を順位付けするとしたら、いったいどのような結果になるのだろうか。現地アメリカの各種メディアが発表するランキングを参考に決定した、カレッジバスケットボール史上最も偉大なプレーヤー15人を発表! Part2は10位から6位までをお届けする。
◇ ◆ ◇ ◆
10位/ビル・ブラッドリー
(プリンストン大/1961~65/SF)
1990年代から2000年代をアメリカで過ごした者にとって(筆者もその1人だが)、ブラッドリーはどことなく愛嬌のある呑気な政治家のおっちゃんであり、またニックスファンにとっては、1970年代黄金期の主要メンバーにして、最後の優勝をもたらしてくれた人物、その程度の認識にすぎなかった。それがまさか、大学時代にここまで凄い選手だったとは、恥ずかしながら存じ上げなかった。
今回ランク入りした15人中、大学時代の平均得点が30点オーバーの選手は5人。ブラッドリーもその1人であり、それもプリンストン大というアイビーリーグの大学で成し遂げている。在学時の1964、65年に2年連続でファイナル4進出を果たしているが、彼の卒業以降、同大はNCAAトーナメント2回戦の壁を突破できていない。
ブラッドリーが1965年NCAAトーナメントの3位決定戦で記録した58得点は、ファイナル4以上の試合では今でも最高得点記録として輝いている。歴代の並みいる名スコアラーを差し置いて、そんな大記録を半世紀以上も保持しているなんて、あの飄々とした姿からは想像もつかない。
9位/ウィルト・チェンバレン
(カンザス大/1955~58/C)
真のバケモノである。NBAでも、そしてカレッジでも。1957年にカンザス大をNCAAトーナメント決勝へ導き、トリプルオーバータイムまでもつれる激闘の末破れたが、トーナメントの最優秀選賞はチェンバレンに与えられた。
カレッジ2年間の平均成績は29.9点、18.3リバウンド、両年ともオールアメリカ1stチームに選出。あと1年大学でプレーすることもできたが、相手チームが繰り返し仕掛けてくるダブルチーム、トリプルチームといった執拗なディフェンスに嫌気が差し、またお金が必要だったこともあり、スッパリとカレッジバスケットボールに別れを告げる。
大学を中退し、雑誌社に『なぜ自分は大学を辞めたのか』というタイトルの記事を1万ドルで売り、NBAに入るまでのつなぎとしてハーレム・グローブトロッターズに加わった。この後先を考えない行動に、いかにも大物感が漂っている。
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10位/ビル・ブラッドリー
(プリンストン大/1961~65/SF)
1990年代から2000年代をアメリカで過ごした者にとって(筆者もその1人だが)、ブラッドリーはどことなく愛嬌のある呑気な政治家のおっちゃんであり、またニックスファンにとっては、1970年代黄金期の主要メンバーにして、最後の優勝をもたらしてくれた人物、その程度の認識にすぎなかった。それがまさか、大学時代にここまで凄い選手だったとは、恥ずかしながら存じ上げなかった。
今回ランク入りした15人中、大学時代の平均得点が30点オーバーの選手は5人。ブラッドリーもその1人であり、それもプリンストン大というアイビーリーグの大学で成し遂げている。在学時の1964、65年に2年連続でファイナル4進出を果たしているが、彼の卒業以降、同大はNCAAトーナメント2回戦の壁を突破できていない。
ブラッドリーが1965年NCAAトーナメントの3位決定戦で記録した58得点は、ファイナル4以上の試合では今でも最高得点記録として輝いている。歴代の並みいる名スコアラーを差し置いて、そんな大記録を半世紀以上も保持しているなんて、あの飄々とした姿からは想像もつかない。
9位/ウィルト・チェンバレン
(カンザス大/1955~58/C)
真のバケモノである。NBAでも、そしてカレッジでも。1957年にカンザス大をNCAAトーナメント決勝へ導き、トリプルオーバータイムまでもつれる激闘の末破れたが、トーナメントの最優秀選賞はチェンバレンに与えられた。
カレッジ2年間の平均成績は29.9点、18.3リバウンド、両年ともオールアメリカ1stチームに選出。あと1年大学でプレーすることもできたが、相手チームが繰り返し仕掛けてくるダブルチーム、トリプルチームといった執拗なディフェンスに嫌気が差し、またお金が必要だったこともあり、スッパリとカレッジバスケットボールに別れを告げる。
大学を中退し、雑誌社に『なぜ自分は大学を辞めたのか』というタイトルの記事を1万ドルで売り、NBAに入るまでのつなぎとしてハーレム・グローブトロッターズに加わった。この後先を考えない行動に、いかにも大物感が漂っている。