NBA

逆境を何度も乗り越えてきた男フェスタス・エジーリ。2015年ウォリアーズ優勝戦士の現在<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.05.22

エジーリは2012年にウォリアーズに入団。アンドリュー・ボーガットの控えとして3年間プレーした。(C)Getty Images

 ゴールデンステイト・ウォリアーズの復興が始まった2012-13シーズンに入団し、2015年にチーム40年ぶりの優勝を経験したビッグマン、フェスタス・エジーリ。

 控えセンターだった彼の仕事は、「バレーボールのスパイクか!?」というくらい強烈なブロックや、身体を張ったリバウンド。外れたシュートを押しこむのも上手く、とりわけ、クリーブランド・キャバリアーズと戦ったファイナル第6戦でバスケットカウントを誘ったダンクは、「これでウォリアーズの優勝は決まった!」と多くのファンに確信させたインパクトのある一発だった。

 しかし16年夏にポートランド・トレイルブレイザーズに移籍した後は、一度も試合に出場しないまま、フェイドアウトするように、彼はバスケシーンから姿を消した。

 そんな、「すでに引退」とも思われていた彼がいま、奇跡的な復活をとげて現役復帰している。

 エジーリは89年にナイジェリアの首都、ベニンシティで生まれた。

 両親は教育熱心で、成績で2番をとると、息子を褒めるどころか「1位の生徒には頭がふたつあるのか?」と問いただすほど厳しかった。おかげで彼は、14歳で高校を卒業している。
 
 より良い教育環境を与えるべく、両親はアメリカのカリフォルニアにいる叔父のもとへ息子を送り出した。だが到着して間もなくフェスタス少年は、アメリカで必要な高校卒業資格を取るには、あと数年は学業が必要であることを知る。医学を志していたが、大学の学費もとんでもなく高額だった。

 当時から身長が2メートルを超えていた彼は、周囲から、「バスケットをやっているの?」と聞かれることが多かった。実際は試合を見たことすらなかったが、優秀な選手には奨学金があることを知り、始めてみることにした。

 ところが、まったくの素人だったことで、高校のバスケ部にはあっさり入部を断られる。それでも気のいい友人の父親が、「この子のフィジカルは貴重だ。きっと彼なしではやっていけなくなるほどの戦力になる」とバスケ部のコーチを説得。

「歩きながらボールを突くなんて、魔法使いかと思った」というエジーリを、コーチは、「走れる? ジャンプは? できる?いいだろう、それならあとは教えるから」と言って受け入れたのだった。
 
NEXT
PAGE
バスケを始めてわずか数年で世界最高峰NBAの世界へ