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NBA

【NBA背番号外伝】代表格はジノビリ、ペイトン、アレン。ガードの名手たちが着用した「20番」を振り返る<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.10.16

ジノビリ(左)、ペイトン(右上)、アレン(右下)ら20番にはガードの好選手が多く存在する。(C)Getty Images

ジノビリ(左)、ペイトン(右上)、アレン(右下)ら20番にはガードの好選手が多く存在する。(C)Getty Images

 NBAにおいて背番号20で永久欠番となっている選手は2人しかいない。1人はPFのモーリス・ルーカス、もう1人は2018年に欠番になったエマニュエル・ジノビリである。ジノビリも含め、20番はガードの印象が強い番号だ。

 アルゼンチンが生んだ史上最高のバスケットボール選手であるジノビリは、2002年にNBA入りするまでは主に6番を背負っていた。

 サンアントニオ・スパーズでも継続する予定だったが、前年まで同番号をつけていたエイブリー・ジョンソンのイメージがファンに色濃く残っている点を考慮。「見栄えがよさそうだから」という理由で20番に変更した。同じアルゼンチン出身者では、カルロス・デルフィーノもデトロイト・ピストンズとトロント・ラプターズで20番を着けている。
 
 ただジノビリの引退後、20番ではスターとまで呼べるほどの選手がいないのは事実である。過去の名選手で最もインパクトを残したのはゲイリー・ペイトンだろう。“グローブ”の愛称で親しまれた史上有数のディフェンダーは、1996年にPGとして初となる最優秀守備選手賞を受賞した。

 オレゴン州大時代から背番号20で、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)入団時はクインティン・デイリーの番号だったため、ドラフト2位指名にちなんで2番を選択。デイリーが移籍した翌年に変更し、引退まで同番号を背負い続けた。同名の息子もワシントン・ウィザーズ時代に1年だけ20番を着けている。

 03年にペイトンとの交換でミルウォーキー・バックスからソニックスへ移籍したレイ・アレンも、ボストン・セルティックスに在籍した5年間は20番だった。バックス、ソニックス時代の34はポール・ピアースが着けていため、7月20日生まれという理由でこの番号を選んだ。アレンと同じシューター系では、90年代にピストンズとニューヨーク・ニックスで活躍したアラン・ヒューストンも挙げられる。
 
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