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バード&マクヘイル――セルティックスに黄金期をもたらした正反対な2人の“埋められない溝”【NBAデュオ列伝|前編】

出野哲也

2022.01.26

境遇は似ていたものの、内気でバスケに全身全霊を捧げるバード(左)に対し、楽観的で強い向上意欲がなかったマクヘイル(右)と2人の性格は正反対だった。(C)Getty Images

■境遇こそ似ていたが性格は正反対だった2人

 ボストン・セルティックスはNBAにとって特別な存在だ。華やかさ、一般的な人気ではロサンゼルス・レイカーズに一歩譲るとはいえ、伝統の重みという点で、セルティックスを上回るチームはない。

 そのセルティックスの80年代を支えていたのが、ラリー・バードとケビン・マクヘイルのフォワード・コンビだった。この2人にセンターのロバート・パリッシュを加えたフロントラインは、NBA史上最強とも謳われた。

 現役引退後、インディアナ・ペイサーズの球団社長とミネソタ・ティンバーウルブズのヘッドコーチ兼任球団副社長という立場で、バードとマクヘイルは敵味方として戦った。彼らの関係は現役当時から、友人とも、ライバルとも、師弟とも言いがたい、複雑なものだった。

 NBA史上最高のフォワードとして、バードの名を挙げる人は少なくない。インディアナ州大時代から注目を浴び続け、とりわけ79年のNCAAトーナメント決勝戦での、ミシガン州大のマジック・ジョンソンとの対決は全国的な話題となった。

 バードのプレーは、見る者すべてを驚嘆させた。一体どこに目がついているのかと思うほど、アクロバティックかつ正確なパスを繰り出すかと思えば、とんでもない体勢からシュートを放ち、ことごとくリングを射抜いた。一時の隙を突いてスティールを決め、ルーズボールには果敢にダイブした。まさにバスケットボールセンスの塊だった。
 
 ジャンプ力はあまりなく、足も遅かったが、そうした身体能力の低さをたゆまぬ努力と並外れた精神力の強さでカバーした。「いつだって、最後のシュートを打つのは自分だと思っている」との自負が、彼の支えになっていた。

 セルティックスに入団した80年、バードは平均21.3点、10.4リバウンドの好成績でライバルのマジックを抑え、新人王に輝いた。それはまた、NBAの隆盛期の始まりを告げるものでもあった。

 マクヘイルは、バードより1年遅れてプロ入りした。セルティックスは80年のドラフト1位指名権をゴールデンステイト・ウォリアーズに譲り渡し、パリッシュと3位指名権を獲得。3位で指名したのがミネソタ大のマクヘイルだった。1つのトレードで、将来の殿堂入り選手2人を手に入れたのだ。

 1年目からチーム2位の151ブロックを決めるなど、マクヘイルはディフェンス面で頭角を現わし、81年の優勝に貢献した。特にインサイドでは、攻守ともに抜群の強さを発揮した。

 その秘密は、彼の特異な体型にあった。中にハンガーが入っているのかと錯覚するほど肩幅が広い上、腕が異様なほど長かった。おまけにフットワークも俊敏で、オフェンスではヘッドフェイクで相手を翻弄し、フォールアウェイ・ジャンパーを確実に沈めた。
 
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マジックは「ラリーの動きは止められるが、マクヘイルは止められない」