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「ケビンは尊敬に値する」「ラリーは最も近い存在」長い年月を経て“友人”となった最強コンビ【NBAデュオ列伝|後編】

出野哲也

2022.01.27

現役時代は打ち解けられなかったバード(左)とマクヘイル(右)だが、現役引退後は友人として良好な関係を築いているようだ。(C)Getty Images

■主役バードの脇役を自覚したマクヘイル

 1984年、セルティックスは3年ぶりにNBAファイナルに進出した。相手はマジック、ジャバーを擁するロサンゼルス・レイカーズ。幾度となく名勝負を繰り広げてきた古豪同士であり、しかも79年のNCAAトーナメント決勝以来のバードとマジックの頂上決戦とあって、開幕前から大いに盛り上がっていた。

 ところが、1勝1敗で迎えた第3戦、セルティックスはレイカーズに33点差の屈辱的な大敗を喫してしまった。

「このチームは意気地なしの集まりだ。ハートのある奴は誰もいない。チーム全員、心臓手術が必要だ」

 試合後、バードは憤然として吐き捨てた。

 誰を名指ししたわけでもなかったが、マクヘイルはこの言葉が自分に向けられていたことはわかっていた。彼の心の中に、この屈辱をエネルギーに変えてやるという闘志が湧き起こった。第4戦の試合前、マクヘイルはエインジに向かって呟いた。

「俺たちはタフにならなければ。もう奴らの思い通りにはさせない」

 その言葉通り、マクヘイルはドライブしてきたカート・ランビスにタックルして突き飛ばすラフプレーを演じた。マジックが「あのプレーで、俺たちは少し怖気づいてしまった」と認めたように、このプレーで雰囲気ががらりと変わった。勝利を収めたセルティックスは、これをきっかけに連勝し、チャンピオンの座に返り咲いた。
 
「キャリアの中でも最高の試合だった」

 バードは満足げにこの試合を振り返った。勝ったから、自分が決勝シュートを決めたからだけではない。チームメイト、中でもマクヘイルが本気を出して全力で戦ったことが、彼にとっては嬉しかった。

 それでも、これでマクヘイルの性質が根本的に変わったわけではなかった。84-85シーズンにはシックスマンから先発へと昇格し、成績自体は素晴らしかったが、周囲からは時折流してプレーしているように映った。バードからの厳しい評価も相変わらずだった。マクヘイルが球団新記録の56得点をあげた試合後、彼はマクヘイルに向かって言い放った。

「最後まで手を抜かなければ、60得点は取れたはずだ」

 9日後、バードは60得点をあげて、マクヘイルの記録をあっさり塗り替えた。全力を尽くせば、どのような結果が出るか。そこには無言のメッセージが込められていた。

 バードは絶頂期を迎えていた。84年からは3年連続でMVPを受賞。セルティックスも86年は、ホームで40勝1敗の圧倒的な成績を残し、ファイナルではヒューストン・ロケッツを下してバード入団後3度目の優勝を飾った。マクヘイルも87年は平均26.1点を記録するなど、ますます手がつけられなくなっていた。
 
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現役時代はマクヘイルと打ち解けられなかったバードだが、年を重ねて関係は和らぎ…