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1980年代後半の世界最高センターはアマチュア選手。“ドリームチームの生みの親”アルビダス・サボニス【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.02.16

1980年代のバスケ界において、サボニスは世界最高のセンターと称された。(C)Getty Images

 プロバスケットボールの最高峰であるNBAには、世界中から最も優秀な選手が集まってくる。だが、1980年代後半における世界最高のセンターは、NBAの選手でなかっただけでなく、プロですらなかった。

 当時のソビエト連邦(以下ソ連)代表として、アマチュア資格でプレーしたアルビダス・サボニス。ユーゴスラビア代表として、全盛期の彼と何度も対戦したブラデ・ディバッツ(元サクラメント・キングスほか)は断言する。

「あの頃のサボニスは、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)やデイビッド・ロビンソン(元サンアントニオ・スパーズ)、シャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)級の選手だった」
 
■1980年代後半における世界最高のセンター

 13歳でバスケットボールを始めた頃、サボニスの母国リトアニアはまだソ連を構成する一国だった。1980年、15歳にしてとびきりのエリートだけが選抜されるナショナル・ジュニアチームに加わり、1982年には初めてアメリカの土を踏んで、当時カレッジバスケットで最高の選手だったラルフ・サンブソン(元ロケッツほか)と互角に渡り合う。1984、85年には2年連続でユーロスカー賞(ヨーロッパ人最高の選手に与えられる)を受賞するなど、早くもヨーロッパ屈指の選手に成長した。

 1960年のローマ五輪でアメリカ代表のヘッドコーチを務め、日本代表を指導した経験を持つピート・ニューウェルは「あれほど素質に恵まれた選手は見たことがない」とサボニスにすっかり惚れ込んだ。

「広島での大会で観たプレーは忘れることができない。シュートがリムに当たって高く跳ね、リバウンドに跳んだ彼は、空中でボールを片手で掴むと、バックハンドでコートの反対側へロングバスを繰り出したんだ!」

 当時はまだ現役だったビル・ウォルトン(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)も、サボニスのプレーに感銘を受けた。

「身長221cm のラリー・バード(元ボストン・セルティックス)さ。私のブレースタイルに似ていて、何でもできる。今すぐNBAに連れてきてもスターになるのは間違いない」

 実際、サボニスとウォルトンには多くの共通点があった。リバウンドとブロックでゴール下を思うままに支配した点や、比類のないバスケットボールIQの持ち主であったこと、また手品師のごとき手捌きでアシストパスを送れた点もそう。だが、それに加えてロングシュートも放つことができたサボニスは、ウォルトン以上の万能選手だった。
 
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ソウル五輪でアメリカ代表を撃破し“ドリームチームの生みの親”に