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レインビア&ロッドマン――芸術的なラフプレーで他球団から恐れられた“最凶コンビ”【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.03.18

レインビア(左)とロッドマン(右)はNBAが肉弾戦全盛の1980年代にフィジカルなプレーで一世を風靡した。(C)Getty Images

「今のNBAはソフトになった」

 1980~90年代にプレーしていた選手は、ほぼ例外なくそのような感想を口にする。以前よりもハンドチェックを厳しく取り締まるようになり、ゲーム自体も大きく質が変わったが、2006-07シーズンからはテクニカルファウルも厳格化された。それまではレフェリーによほどしつこく抗議しないと笛は吹かれなかったが、現在では判定に少し不満の意を表しただけで即座にコールされる。

 もし今の時代に、デニス・ロッドマンやビル・レインビアがプレーしていたら、一体どれだけのテクニカルファウルを取られていただろうか。彼らの代名詞だったフィジカルなディフェンスも過去のものと化してしまい、よりクリーンになった今のNBAでは彼らの居場所はないだろう。ロッドマンとレインビア――他球団の選手からは恐れられ、憎まれていた彼らが体現していたのは、良くも悪くもNBAがギラギラしていた時代でもあった。

■お坊ちゃま育ちから最凶極悪選手に変身したレインビア

 もしもバスケットボールをプレーしていなかったら、ロッドマンとレインビアが知り合いになる機会は一生なかったはず。それほど二人の生い立ちは異なっていた。

「自分の父親より稼ぎの低い唯一のNBA選手」。かつてレインビアはそのように言われたことがあった。レインビアの年俸が安かったのではなく、彼の父親が世界有数のガラス耐熱メーカーの役員を務めるエリートビジネスマンだったからだ。何一つ不自由のない子供時代を送ったレインビアは、「初めてケンカをしたのはNBAに入ってから」というほどのお坊ちゃま育ちだった。
 
 背の高さを見込まれてバスケットボールを始めたレインビアだが、学生時代はさほど注目される選手ではなかった。ノートルダム大での3年間の通算成績は平均7.4点、6.3リバウンドと平凡なもので、79年のドラフトではクリーブランド・キャバリアーズの指名を受けたとはいえ3巡目の下から2番目、全体では65位という低評価だった。キャブズがいかにレインビアを軽く考えていたかは、指名後2か月も入団交渉を始めなかったことでもわかる。

 レインビアは1年間イタリアリーグのブレシアでプレーした後、キャブズに入団。才能が全面的に開花したのは、2年目の途中でデトロイト・ピストンズへトレードされてからだった。「フロアから5cmしか跳び上がれない」と言われるほど運動能力は乏しかったが、抜群の洞察力とポジショニングでそれを補った。82-83シーズンには平均12.1リバウンド(リーグ3位)、そして85-86シーズンには平均13.1本でリバウンド王のタイトルを獲得した。ヨーロッパで鍛えた正確なアウトサイドシュートも、重要な武器の一つとなった。

 だがレインビアの最大の売り物は、″芸術的″とまで評されたラフプレーにあった。マイケル・ジョーダンの伝記を書いたデビッド・ハルバースタムの表現を借りると「相手に選手生命を終わらせるほどの怪我を負わせることも、自分の目的にかなえばあえてやってのけた」ので、怒った相手からパンチを浴びせられたことも一度や二度ではなかった。
 
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