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“バッドボーイズ”ピストンズの象徴。周囲の評価を活力に変えたレインビアとロッドマン【NBAデュオ列伝|後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.03.19

チームの大黒柱はトーマス(左)だったが、ピストンズ2度の優勝はレインビア(中央)とロッドマン(右)の存在なくしてあり得なかった。(C)Getty Images

■無名の存在からリーグ最高の守備選手となったロッドマン

 ロッドマンが最もプレースタイルの参考にしたのはレインビアだった。「ぜんぜんジャンプ力がないのに、よくあれだけリバウンドが取れるものだ」。ロッドマンはレインビアの動きやポジショニングを研究して自分のものとしていった。身長こそ低いものの、レインビアよりもはるかに優れた身体能力の持ち主だったロッドマンは、すぐにレインビアを上回るほどのリバウンダーになった。

 ロッドマンが取り入れたのはリバウンドのスキルだけではなかった。相手を苛立たせ、心理的に追い詰めていく術も学んだのである。レインビアほど強烈ではないが、ロッドマンのラフプレーも相当なものだった。

 そのいい例が90-91シーズン、シカゴ・ブルズとのイースタン・カンファレンス決勝第4戦での出来事だった。この試合でロッドマンはスコッティ・ピッペンがドライブしてきたところを思い切り突き飛ばし、アゴを6針も縫う大ケガを負わせたのだ。「あれが大したことじゃないと思うのならまたやってやる」と彼はうそぶいた。

 レインビア、ロッドマンにリック・マホーンを加えたピストンズのフロントラインは、暴力的にNBAを支配した。トーマスやジョー・デュマースらの優秀なガード陣が得点を重ね、″悪の三銃士″が鉄壁のディフェンスを展開する。″バッドボーイズ″と呼ばれたピストンズはこうして無敵の存在となり、89年にはロサンゼルス・レイカーズ、90年にはポートランド・トレイルブレイザーズをファイナルで下して2連覇を達成した。
 
 だが、そこからの転落も早かった。すぐにマイケル・ジョーダンとブルズの時代がやってきて、バッドボーイズは王座を追われる。

 91-92シーズンを最後にデイリーHCが退任したことが、デイリーを父のように慕っていたロッドマンの変化の引き金になった。チーム内で仲のよかったマホーンやジョン・サリーに続いてデイリーまでもが去っていったことに、彼は深く傷ついていた。

「何をすればいいのかわからない。最優秀ディフェンス賞も受賞したし、リバウンド王にもなった。やれと言われたことはすべてやってきた。それなのに……年俸はいまだにたった200万ドルだ」。どれだけチームの勝利に貢献しても、それにふさわしい扱いを受けていないとの不満があった。

 元々精神的に不安定だったロッドマンは、練習に遅刻や欠席を繰り返すなど次第に行動がおかしくなっていった。93年4月には失踪した挙句、ライフルを抱えてピックアップトラックの中でうずくまっているのを発見され、自殺しようとしていたのではと噂された。ロッドマンの引き起こすトラブルに対処しきれなくなったピストンズは、92-93シーズン終了後、彼をサンアントニオ・スパーズへ放出した。

 このトレードが、新生ロッドマン誕生のきっかけになった。髪の毛をあらゆる色に染め、全身に奇抜なタトゥーを施すようになったのだ。プレーだけでは注目されないのなら、それ以外の部分で注目を集めてやろう。そう決心した末の行動だった。
 
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