1946年に創設されたNBAは、翌1947年からドラフト制度を開始させ、時代によってルールを変えながら現在に至っている。
昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれてきたが、年代関係なく指名順位に限定してチームを結成した場合、その顔ぶれはどうなるのか。過去のこのシリーズでは「ドラフト●位指名チーム」や「ワーストドラ1チーム」をお送りしてきたが、今回は「ドラフト外最強チーム」を選定する。
NBAには様々な事情からドラフトで指名漏れしてしまったものの、たゆまぬ努力で這い上がり、リーグ有数の実力者へと上り詰めた選手も多く存在する。そんな“苦労人”たちのベストチームを、アメリカンスポーツに精通する識者に選んでもらった。
【ポイントガード】
エイブリー・ジョンソン
1965年3月25日生。180cm・84kg
キャリアスタッツ:1054試合、平均8.4点、1.7リバウンド、5.5アシスト
サザン大A&Mカレッジから、1988年にシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)にドラフト外で入団。最初の数年間は典型的なジャーニーマンで、6シーズンでのべ6球団に在籍した。
だが1994-95シーズン、サンアントニオ・スパーズに3度目の加入を果たすと、82試合すべてに先発PG(ポイントガード)として出場し、平均13.4点、8.2アシストをマーク。翌年は自己ベスト&リーグ3位の平均9.6アシストを記録した。
身長180cmと相当小柄であったが、甲高い声でチームメイトに的確な指示を飛ばし、当時の主力デイビッド・ロビンソンがアドミラル(提督)と呼ばれていたのにひっかけ、ついた愛称は“リトル・ジェネラル(司令官)”。2000年まで強豪スパーズの正PGを務め、1999年に優勝を経験したほか、引退後の2005-06シーズンにはダラス・マーベリックスを率いて最優秀ヘッドコーチ賞に選ばれている。
そのほかのドラフト外PGでは、1973年にドラフト外でソニックスに入団したスリック・ワッツも、1976年にアシストとスティールの両方で1位になるなど活躍した。
昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれてきたが、年代関係なく指名順位に限定してチームを結成した場合、その顔ぶれはどうなるのか。過去のこのシリーズでは「ドラフト●位指名チーム」や「ワーストドラ1チーム」をお送りしてきたが、今回は「ドラフト外最強チーム」を選定する。
NBAには様々な事情からドラフトで指名漏れしてしまったものの、たゆまぬ努力で這い上がり、リーグ有数の実力者へと上り詰めた選手も多く存在する。そんな“苦労人”たちのベストチームを、アメリカンスポーツに精通する識者に選んでもらった。
【ポイントガード】
エイブリー・ジョンソン
1965年3月25日生。180cm・84kg
キャリアスタッツ:1054試合、平均8.4点、1.7リバウンド、5.5アシスト
サザン大A&Mカレッジから、1988年にシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)にドラフト外で入団。最初の数年間は典型的なジャーニーマンで、6シーズンでのべ6球団に在籍した。
だが1994-95シーズン、サンアントニオ・スパーズに3度目の加入を果たすと、82試合すべてに先発PG(ポイントガード)として出場し、平均13.4点、8.2アシストをマーク。翌年は自己ベスト&リーグ3位の平均9.6アシストを記録した。
身長180cmと相当小柄であったが、甲高い声でチームメイトに的確な指示を飛ばし、当時の主力デイビッド・ロビンソンがアドミラル(提督)と呼ばれていたのにひっかけ、ついた愛称は“リトル・ジェネラル(司令官)”。2000年まで強豪スパーズの正PGを務め、1999年に優勝を経験したほか、引退後の2005-06シーズンにはダラス・マーベリックスを率いて最優秀ヘッドコーチ賞に選ばれている。
そのほかのドラフト外PGでは、1973年にドラフト外でソニックスに入団したスリック・ワッツも、1976年にアシストとスティールの両方で1位になるなど活躍した。