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アンファニー“ペニー”ハーダウェイ——1990年代のリーグで一際眩い輝きを放った“マジック二世”【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.06.18

1990年代、ペニーはリーグで最も輝いていた選手の1人だった。(C)Getty Images

 今年のNBAドラフト1位指名権はオーランド・マジックが獲得。過去、マジックは3回1位指名権を得たことがあり、1992年のシャキール・オニールと2004年のドワイト・ハワードはいずれも大黒柱へと成長し、チームをNBAファイナルまで導いた。

 だが、残るもう1回――1993年に1位指名したクリス・ウェバーは、その直後にトレードされてマジックのユニフォームを着ることはなかった。ウェバーの代わりにマジックへ加入したのは、同年の3位指名だったアンファニー・ハーダウェイ。"ペニー"のニックネームで親しまれた彼は、人気と実力を兼ね備えたシャックの最高のパートナーとして、1990年代後半のNBAで最も輝いていた選手のひとりだった。
 
■メンフィスのスラム街から来た、本人公認の"マジック2世"

 ハーダウェイについては、その名前にまつわる誤解がいろいろとあったので、ここで整理しておこう。まず本名の"アンファニー"は、「"アンソニー"のスペル間違い」との説もあったようだが、実際は母親の高校時代の友人の名前から取ったもの。ニックネームの"ペニー"の由来も、幸運の1ベニーコインから来たものなど様々に言われていたが、彼を育てた祖母ルイーズの"プリティ(可愛い)" の発音が"ペニー"と聞こえたというのが真相である。また、彼と同時期に活躍したオールスター選手で、同姓のティム・ハーダウェイ(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)とは何の縁戚関係もない。

 ハーダウェイが育ったのは、テネシー州メンフィス市でも特に治安の悪い地域だった。プレーグラウンドでバスケットボールをしていても、銃を持った連中が周囲をうろついているような、恐ろしい環境だった。

 それでも彼が悪の道へ入りこむことがなかったのは、ルイーズが愛情を持って厳しく彼をしつけたおかげだった。

「夜遅くまで遊び歩いている仲間たちがうらやましいこともあった。でも、今では祖母が厳しく育ててくれたことに感謝している」
 
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マジックも「自分を鏡で見てるよう」と称賛