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NBA

170cmの日系人がカレッジバスケのスター選手に…【ワタル・“ワット”・ミサカ――NBAで初めて人種の壁を破った男/前編】

大井成義

2019.11.25

ユタ大時代には第2次世界大戦を挟み、NCAA(44年)とNIT(47年)のふたつのトーナメントで優勝した。(C)Getty Images

ユタ大時代には第2次世界大戦を挟み、NCAA(44年)とNIT(47年)のふたつのトーナメントで優勝した。(C)Getty Images

■NBA史上初の非白人選手は日本をルーツに持つ男だった

 世界中のスポーツファンの中で、ジャッキー・ロビンソンの名を知らぬ者はいないだろう。アメリカの近代メジャーリーグにおいて、初めてカラーバリア(人種の壁)を打ち破ったパイオニアである。ほんの2世代前の祖父が、アフリカから連れられてきた奴隷。人種差別がまだ色濃く残る1947年にメジャーデビューを果たし、幾多の苦難を乗り越え、MLBに新たな道を切り開いた。〝野球の神様〞と称されるベーブ・ルース同様、やや神格化というか英雄視されすぎている気がしなくもないが、アメリカの近代野球史を語る際、欠かせない選手の1人であることは間違いない。

 それでは、NBAで初めてカラーバリアを破った選手は誰だろうか。現在のNBAは、7割以上がアフリカにルーツを持つ、いわゆる黒人によって占められている。普通に考えれば、NBA史上初の非白人選手も、野球と同様に黒人以外あり得なさそうだが、実際はアジア系、それもなんと日系人なのである。

 時はロビンソンと同じ1947年、NBAの前身BAA(バスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ)の第1回ドラフトで指名され、ニューヨーク・ニックスでプレーした日系二世のワタル・〝ワット〞・ミサカ(三阪亙)こそが、NBAのカラーバリアを初めて破った人物だ。初の黒人選手アール・ロイドが誕生するまでは、それからさらに3年待たなくてはならない。
 
 ミサカもロビンソン同様、偉大な開拓者である。だがロビンソンとは対象的に、現在ミサカの名前が語られることはほとんどない。知っている人もごく一部のNBAマニアだけで、言わば〝歴史に埋もれた偉人〞となっている。その理由は至ってシンプルだ。BAAの在籍期間があまりにも短く、実績が無に等しいから。開幕13日後に解雇され、リーグから姿を消したのである。

 では、ミサカにはプロで活躍できるだけの能力がなかったのだろうか。単純に実力不足ゆえの解雇だったのだろうか。その決断を下した当時のチーム首脳陣はすでに鬼籍に入っており、インタビュー記事など短期解雇の理由を裏付ける確固たる資料も残っていない以上、その答えは誰にもわからない。

 それでも、インターネットや書籍から得ることのできる資料、証言等の検証を重ねた末に、個人的な見解を述べさせていただくなら、その答えはノーだろう。同じ非白人でも、日本にルーツを持つ日系人以外の選手だったら、それが他のアジアの国でも黒人でもヒスパニック系でも、ニックスからカットされることはなかったと思う。おそらくそのままプレーし続け、一定の結果を残せていたような気がする。

 そうすれば、〝ワット・ミサカ〞はNBA史のみならず、アメリカのスポーツ史における人種問題を語るうえで、欠かせない名前になっていたに違いない。まさしくジャッキー・ロビンソンのように。
 

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