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”アメリカ代表再生計画”——屈辱の敗戦から4年、北京五輪で栄光を取り戻した”リディームチーム”の軌跡

出野哲也

2019.11.29

キッド、コビーら百戦錬磨のベテランと、レブロンをはじめとした若手スターが融合し、圧倒的な強さで他国を蹂躙。(C)Getty Images

 今年のワールドカップでアメリカ代表は準々決勝でフランスに逆転負けを喫すると、順位決定戦ではセルビアに敗退。スーパースターが不在だったこともあり、ある程度の苦戦は予想されたが、7位という結果は誰も予想しなかっただろう。

 バスケ大国のプライドを傷つけられたアメリカだが、今から15年前、2004年のアテネ五輪でも似たような境遇に置かれたことがあった。チームの平均年齢23.6歳と若手中心で挑んだアメリカ代表は予選で2敗、さらに決勝トーナメント初戦でアルゼンチンの前に屈し、銅メダルの屈辱を味わったのだ。決勝戦に進めなかったのは16年ぶり、1大会で3敗を喫したのは五輪史上初という散々な結果で、"ドリームチーム"とは名ばかりの集団になっていた。

 これ以上失態を重ねることは許されない――バスケットボールの本場のプライドに懸けて、アテネ五輪直後から代表チームの再生プロジェクトがスタートした。責任者に任命されたのは、元サンズGMで、企業家としても成功していたジェリー・コランジェロ。彼が目指したのは、代表に選ばれた者の意識を根本から変えることだった。

 アテネで失敗した最大の原因は、スター級の選手が何かと理由をつけて大会に参加しようとせず、トップレベルのチームを編成できなかったこと。以前だったらそれでも勝てたかもしれないが、1990年代に入り、世界各国のバスケットボールのレベルは飛躍的に進歩していた。簡潔に言えば、アメリカも本気を出して取り組まない限り勝てない時代になっていたのである。
 
 コランジェロは、まず指揮官にデューク大の名将マイク・シャシェフスキーを招聘。肝心のメンバーには、少なくとも3年間は代表として戦う意思を持っている選手を求めた。同じ顔ぶれで継続してプレーすることで、ケミストリーを醸成するのが強いチームには欠かせないと考えたからであった。

 こうして、アテネでは不参加だったコビー・ブライアント(当時レイカーズ)やジェイソン・キッド(当時マーベリックス)が、コランジェロの要請に応えて参戦。レブロン・ジェームズ(当時キャバリアーズ)やドゥエイン・ウェイド(当時ヒート)、カーメロ・アンソニー(当時ナゲッツ)ら、アテネで悔しい思いをした若手スターたちとタッグを組み、ドリームチームならぬ"リディーム(=名誉回復を目指す)チーム"を結成した。

 しかし、結果はすぐには出なかった。コビーとキッドは出場しなかったものの、06年に日本で行なわれた世界選手権(現ワールドカップ)では、またも準決勝でギリシャに苦杯を喫したのだ。それでも敗れたのはこの試合のみで、3位決定戦ではアルゼンチンを下しアテネの借りを返すなど、2年後に向けて確かな手応えを得ていた。
 
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コビー、レブロンらを中心に、隙のない戦いで他国を圧倒