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ジョーダンの計らいでブルズ入りした大学の後輩が“神様”との日々を回想。引退会見は「葬式のようだった」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2023.04.05

ウィリアムズはジョーダン主催のキャンプで存在感を放ち、エースの計らいによってドラフト外でブルズ入りを果たした。(C)Getty Images

 シカゴ・ブルズで1991~93年、96~98年に2度の3連覇を成し遂げ、フランチャイズの黄金期を築いたマイケル・ジョーダン。絶対的エースゆえに、チームへの影響力も大きかったが、元ブルズのスコット・ウィリアムズは"神様"との思い出を振り返っている。

 ブルズは1980年代後半に宿敵デトロイト・ピストンズに何度もNBAファイナル進出を阻まれたが、1990-91シーズンにその壁を乗り越えると、ファイナルでマジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズを破って初優勝。

 91-92シーズンはクライド・ドレクスラーがエースとして君臨するポートランド・トレイルブレイザーズ、翌92-93シーズンには盟友チャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズとの戦いを制し、史上3チーム目となるスリーピート(3連覇)を達成した。

 90~94年にブルズに在籍し、バックアップセンターとして前期3連覇(91~93年)を経験したスコット・ウィリアムズは、ジョーダンと同じノースカロライナ大からドラフト外でNBA入り。5歳年上のジョーダンの計らいでプロとして生き抜いていく道が開けたと、ダニー・グリーン(クリーブランド・キャバリアーズ)が共同ホストを務める『Danny Green x Inside the Green Room』で明かしている。
 
「プロ相手に戦うなら、ある程度の経験は必要だ。ジョーダンは恵まれない子どもたちのために(ノースカロライナ州の都市)グリーンズボロでキャンプを開催していた。私はジョーダンのチームでゲーム終盤にオフェンシブ・リバウンドを取ったんだ。周りが私にシュートを打たせてくれなかったから、リバウンドを取らないといけなかった。右コーナーにジョーダンを見つけ、パスをした。そして、彼は決勝シュートを沈めた。

 ゲーム後、ジョーダンは立ち去って、(当時ゼネラルマネージャーの)ジェリー・クラウスに電話で『我々はウィリアムズをトライアウトしてみるべきだと思う』と言ってくれた。だから、クラウスは私のエージェントの連絡を入れて、ブルズの一員としてサマーリーグでテストされることになった。あとは歴史が示している通りさ」

 ジョーダンは93-94シーズンの開幕前に最初の引退を電撃表明した。3連覇達成によるモチベーション低下のほかに、オフに父ジェームズが殺害されたことが引退の要因として挙げられていたが、ウィリアムズもノースカロライナ時代に父親を自殺で亡くし、喪失感にさいなまれた経験を持つだけに共感。

 ただ、93年10月に行なわれたジョーダン引退会見時に同席したブルズの選手たちの表情は暗く、ウィリアムズは「当時オーナーのジェリー・ラインズドルフは記者会見で祝う時だと言っていたけど、選手たちの顔を見るとまるで葬式のようだった。誰一人としてジョーダンの引退を祝っていなかった」と回想した。

 ブルズはジョーダンが95年3月に現役復帰後、96~98年に再び3連覇を果たしたが、スコッティ・ピッペンを中心にエース不在の"試練の時"を乗り越えたことで、チームとして一皮も二皮も剥けたと言えるかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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