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NBA

アテネ五輪で味わったスター寄せ集めの限界。過去最低となる3度の敗戦を喫した”ナイトメア・チーム”

出野哲也

2019.12.08

アイバーソン(右から2番目)を中心にアテネ五輪に臨んだアメリカだったが、結果は大惨敗。(C)Getty Images

アイバーソン(右から2番目)を中心にアテネ五輪に臨んだアメリカだったが、結果は大惨敗。(C)Getty Images

 五輪発祥の地であるギリシャのアテネで、1896年の第1回大会以来、108年ぶりに開催された2004年の夏季オリンピック。同地はヨーロッパでもとりわけバスケットボール人気の高い国とあって、大会前からバスケ競技への関心は非常に高かった。

 優勝の大本命はもちろん、今回もNBAの精鋭たちを送り込んだアメリカ。92年のバルセロナ五輪以降、“ドリームチーム”は3度の大会すべてで全勝し金メダルを手にしていたので、アテネでも同じ光景が繰り広げられると予想されていた。02年の世界選手権では準々決勝でユーゴスラビアに敗れるなど、最終順位は6位と苦杯を喫していただけに、気合いを入れ直し本来の強さを取り戻すと思われていたのである。実際に03年のアメリカ予選では、強敵のアルゼンチンを33点差で下し難なく優勝を飾っていた。
 
 ところが、アテネへ赴いたのは最強メンバーとは程遠い顔ぶれだった。シャキール・オニールとコビー・ブライアント(ともに当時レイカーズ)は前者が“疲労”で後者は“裁判中”、ケビン・ガーネット(当時ウルブズ)も“新婚”と、多くのトッププレーヤーが様々な理由を並べ立て、不参加を決め込んだのだ。

 前年の予選を戦った選手は、ティム・ダンカン(当時スパーズ)とアレン・アイバーソン(当時シクサーズ)、リチャード・ジェファーソン(当時ネッツ)の3人のみ。ほかのメンバーは19歳のレブロン・ジェームズ(当時キャブズ)や20歳のカーメロ・アンソニー(当時ナゲッツ)をはじめ、6人が22歳以下。平均年齢23・6歳と、よく言えばフレッシュ、悪く表現すれば経験に乏しいプレーヤーが多かった。

 00年のシドニー五輪のメンバーが全員23歳以上だったことを考えても異例のチーム編成で、ポイントガード(PG)がアイバーソンとステフォン・マーブリー(当時ニックス)という攻撃型の2人である点も不安材料だった。大会前の練習試合で対戦したドイツ代表のダーク・ノビツキー(当時マブズ)は「倒せない相手じゃない。もうドリームチーム神話は終わった」と宣言。それでもなお、ダンカンとアイバーソンという2人のシーズンMVP受賞者を筆頭に、能力的には極めてレベルの高いメンバーが揃っており、指揮官のラリー・ブラウン(当時ピストンズ・ヘッドコーチ/HC)をはじめとするコーチ陣が彼らをチームとして機能させれば、金メダルの獲得が不可能と考える理由は見当たらなかった。
 
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