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NBA

「もっと上手くアレンを指導していたら、史上最高の選手になっていたかもしれない」アイバーソンの元恩師が明かす“後悔”<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2023.06.06

ブラウンHC(左)はアイバーソンを6年間指導し、シクサーズを5度のプレーオフに導いた。(C)Getty Images

ブラウンHC(左)はアイバーソンを6年間指導し、シクサーズを5度のプレーオフに導いた。(C)Getty Images

 アレン・アイバーソンはキャリアで計4回の得点王を獲得し、殿堂入りも果たしている名選手だ。NBAで成功した要因のひとつとして、名将ラリー・ブラウンから指導を受けたことが挙げられる。

 2001年のフィラデルフィア・セブンティシクサーズを追った『NBA TV』のドキュメンタリー『Everything but the Chip』で、両者が“後悔”を明かしている。

 1996年のドラフト全体1位指名でシクサーズに入団したアイバーソンは、ルーキーイヤーからエースを担い、瞬く間にNBAの顔となっていった。

 そのなかでも、2000-01シーズンは個人としても、チームとしても出色の出来だった。平均31.1点で自身2度目の得点王に輝いたほか、平均2.5本で初のスティール王も獲得。オールスターでは25得点をあげてイースタン・カンファレンスを劇的な大逆転勝利に導き、オールスターMVPに選出された。

 さらにシクサーズをイースタン・カンファレンストップの56勝26敗(勝率68.3%)に導き、オールNBA1stチーム入り、そしてシーズンMVPを受賞。プレーオフでもヴィンス・カーター率いるトロント・ラプターズ、レイ・アレンを擁するミルウォーキー・バックスとの死闘を制してNBAファイナル進出を果たす。

 ロサンゼルス・レイカーズとの頂上決戦ではシリーズ初戦でいきなり48得点を叩き出し、ウエストを無敗で勝ち上がってきた前年王者にプレーオフで唯一の土をつけてみせた。最終的に1勝4敗で敗れ、リーグ制覇には届かなかったものの、アイバーソンの人気、実力ともピークのシーズンだったと言っても過言ではない。
 
 1997~2003年にシクサーズでアイバーソンと師弟関係にあったのが、名将ブラウンだ。両者は何度も衝突したが、ブラウンはドキュメンタリー『Everything but the Chip』内で、「私は、アレン(アイバーソン)が取り組むべきと思ったことは、手を緩めるつもりはなかった。それは難しいことだと諦めるつもりはなかった。彼への不満は、私が考えていたレベルでプレーするために必要なことをすべてやっているとは思えなかったことだ」と言及した。

 アイバーソンは「99.9%は俺が原因だった。俺はキャリアの中でひとつだけ後悔していることがある。それは、ラリー・ブラウンの建設的な批判を、本当の意味で受け止められなかったことだ。一度それを受け入れたら、すべてが変わった。俺はいい選手からMVPになったんだ」と当時を振り返っているが、ブラウンもアイバーソンとの関係において、後悔していることがあるという。

「もし私がもっと上手くアレンを指導していたら、史上最高の選手になっていたかもしれない」

 史上最も小柄な得点王のアイバーソンが、マイケル・ジョーダンやコビー・ブライアント、レブロン・ジェームズらとともに“GOAT”の議論に名前が挙がるようなシナリオも、NBAファンとしても見たかったところだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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