元NBA選手のギルバート・アリナスは、"エージェント・ゼロ"の異名を取った攻撃的ガードで、現役時代はリーグを代表する人気プレーヤーの1人だった。ケガが原因で30歳の若さで世界最高峰の舞台から姿を消したが、引退後の生活を迎えた当初について「悲惨だった」と振り返っている。
2001年ドラフト2巡目31位でNBA入りしたアリナスは、当初は低評価ながらルーキーイヤー途中にスタメンの座を掴むと、2年目の2002-03シーズンは全82試合に出場して平均18.3点、4.7リバウンド、6.3アシストを記録。最も成長した選手に送られるMIPを受賞した。
2004-05シーズンからは3年連続でオールスターに出場。2005-06シーズンにはコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、アレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)、レブロン・ジェームズ(レイカーズ)に次ぐリーグ4位の平均29.3点を叩き出し、リーグ屈指のスコアラーとしてその名を轟かせた。
しかし、2007年4月に左ヒザ外側半月板断裂の大ケガを負うと、翌2007-08シーズンにはヒザを再手術。オフにワシントン・ウィザーズと6年総額1億1100万ドル(約161億円)で延長契約を結ぶも、2008-09シーズンもわずか2試合の出場とほぼ全休。さらに、ケガの癒えた2009-10シーズンは拳銃をロッカールームに持ち込んだとして出場停止処分を科され、30日間の更生施設入りの判決を受けた。
その後、オーランド・マジック、メンフィス・グリズリーズを経て、30歳で中国リーグへ。41歳となった現在は引退状態となっている。
そんなアリナスが、プロ入り時にゴールデンステイト・ウォリアーズと結んだ2年契約で手にした総額84万5000ドル(約1億2000万円)のお金を、最高級SUVキャデラック・エスカレード購入などでドラフト前に使い果たし、ウォリアーズの旧本拠地であるオラクル・アリーナで寝泊まりしていた時期があったのは有名な話。週500ドル(約7万2000円)しか生活費が残っていなかったという当時を『VLAD TV』で振り返っている。
2001年ドラフト2巡目31位でNBA入りしたアリナスは、当初は低評価ながらルーキーイヤー途中にスタメンの座を掴むと、2年目の2002-03シーズンは全82試合に出場して平均18.3点、4.7リバウンド、6.3アシストを記録。最も成長した選手に送られるMIPを受賞した。
2004-05シーズンからは3年連続でオールスターに出場。2005-06シーズンにはコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、アレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)、レブロン・ジェームズ(レイカーズ)に次ぐリーグ4位の平均29.3点を叩き出し、リーグ屈指のスコアラーとしてその名を轟かせた。
しかし、2007年4月に左ヒザ外側半月板断裂の大ケガを負うと、翌2007-08シーズンにはヒザを再手術。オフにワシントン・ウィザーズと6年総額1億1100万ドル(約161億円)で延長契約を結ぶも、2008-09シーズンもわずか2試合の出場とほぼ全休。さらに、ケガの癒えた2009-10シーズンは拳銃をロッカールームに持ち込んだとして出場停止処分を科され、30日間の更生施設入りの判決を受けた。
その後、オーランド・マジック、メンフィス・グリズリーズを経て、30歳で中国リーグへ。41歳となった現在は引退状態となっている。
そんなアリナスが、プロ入り時にゴールデンステイト・ウォリアーズと結んだ2年契約で手にした総額84万5000ドル(約1億2000万円)のお金を、最高級SUVキャデラック・エスカレード購入などでドラフト前に使い果たし、ウォリアーズの旧本拠地であるオラクル・アリーナで寝泊まりしていた時期があったのは有名な話。週500ドル(約7万2000円)しか生活費が残っていなかったという当時を『VLAD TV』で振り返っている。
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