激しいフィジカルコンタクトを全面に押し出した荒っぽいディフェンスでリーグを席捲し、“バッドボーイズ”と恐れられた1980年代後半~1990年代前半のデトロイト・ピストンズ。そんな彼らの絶対的リーダーとして君臨していたのが司令塔のアイザイア・トーマスだが、当時ライバルチームのボストン・セルティックスの一員としてピストンズとしのぎを削っていた殿堂入り選手のロバート・パリッシュは、揉めごとの多くはトーマスが発端だったと指摘している。
1980年代はマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズと、ラリー・バード擁するセルティックスがNBAの中心にいたが、1980年代後半~1990年代前半にかけてはピストンズが存在感を発揮。トーマス、ジョー・デュマース、デニス・ロッドマン、ビル・レインビアら曲者たちが対戦相手を苦しめ、1989年からリーグ2連覇を達成した。
1987年のイースタン・カンファレンス決勝で、ピストンズはセルティックスと対戦。シリーズ第3戦、ゴール下でポンプフェイクを入れてシュートを狙ったバードに対して、レインビアが飛び掛かるようにファウルをし、両チームの選手がもみ合う乱闘騒ぎに発展する。さらに第5戦では、パリッシュがリバウンド争いでレインビアにエルボーまがいの攻撃(ファウルは取られず)を仕掛け、会場が騒然となった騒動は今なお語り継がれている。
ピストンズの“首領”的存在だったトーマスは、1977~85年にセルティックスに所属していたセドリック・マックスウェルのポッドキャスト番組『Cornbread Maxwell』に出演した際「私は当時のリーグで最も“罰”を受けた選手だったと思う」と回想。「私は小さかった(身長185cm)から、レインビアや(リック)マホーンが何をしようが、対戦相手はみんな『OK、アイザイアを攻撃しろ』と言っていた」と語った。
また、マックスウェルから「パリッシュはピストンズの選手がレインビアを嫌いだったと考えていたようだ」と知らされると、「私たちはレインビアが嫌いだったのではない。ザ・チーフ(パリッシュの愛称)が怖かったんだ」と笑って答えていた。
1980年代はマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズと、ラリー・バード擁するセルティックスがNBAの中心にいたが、1980年代後半~1990年代前半にかけてはピストンズが存在感を発揮。トーマス、ジョー・デュマース、デニス・ロッドマン、ビル・レインビアら曲者たちが対戦相手を苦しめ、1989年からリーグ2連覇を達成した。
1987年のイースタン・カンファレンス決勝で、ピストンズはセルティックスと対戦。シリーズ第3戦、ゴール下でポンプフェイクを入れてシュートを狙ったバードに対して、レインビアが飛び掛かるようにファウルをし、両チームの選手がもみ合う乱闘騒ぎに発展する。さらに第5戦では、パリッシュがリバウンド争いでレインビアにエルボーまがいの攻撃(ファウルは取られず)を仕掛け、会場が騒然となった騒動は今なお語り継がれている。
ピストンズの“首領”的存在だったトーマスは、1977~85年にセルティックスに所属していたセドリック・マックスウェルのポッドキャスト番組『Cornbread Maxwell』に出演した際「私は当時のリーグで最も“罰”を受けた選手だったと思う」と回想。「私は小さかった(身長185cm)から、レインビアや(リック)マホーンが何をしようが、対戦相手はみんな『OK、アイザイアを攻撃しろ』と言っていた」と語った。
また、マックスウェルから「パリッシュはピストンズの選手がレインビアを嫌いだったと考えていたようだ」と知らされると、「私たちはレインビアが嫌いだったのではない。ザ・チーフ(パリッシュの愛称)が怖かったんだ」と笑って答えていた。
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