8月13日(日本時間14日)、マイアミ・ヒートのレジェンドとして知られるユドニス・ハズレムと、2012、13年に同チームで優勝を経験したマイク・ミラーがホスト役を務めるポッドキャスト番組『The Ogs』の最新エピソードが公開され、ギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)がゲスト出演した。
今回、番組内で話題に挙がったのはレジェンドセンターのシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)。216㎝・147㎏のシャックは、ペイントエリアで圧倒的な支配力に加え、その巨体とサイズに似つかわしくないクイックネスを駆使して1990年代後半~2000年代のNBAを支配してきた。
この3選手のうち、ハズレムはヒートでシャックと共闘経験を持ち、2000年にNBA入りしたミラー、翌2001年にデビューしたアリナスはシャックがレイカーズで猛威を振るっていた時代に対戦している。
ミラーはメンフィス・グリズリーズでパウ・ガソルとマルク・ガソル、ヒート時代にはレブロン・ジェームズ(現レイカーズ)やドゥエイン・ウェイド、キャリア終盤に所属したデンバー・ナゲッツではニコラ・ヨキッチともプレーしているが、シャックは“別格”だったようだ。
「シャキール・オニールは僕が見てきたなかで最も支配的なビッグマンだ。僕のチームは彼のためにディフェンスをしていた。チームで対策を講じたのに、彼が相手では何もできなかったよ」
そう語ったミラーは、シャックの強靭さを物語るこんなエピソードも披露した。
「(対戦時に)彼はファウルされたことすら気付いていなかったんだ! 一度僕は彼に対してハードファウルを仕掛けたのに、僕が腕を痛めてしまったんだ。その時に『(ファウルしたのは)僕だ。ごめんよ』と話しかけたのに、彼は『お前、俺に当たってきたのか?』って感じで返してきたんだ」
シャックは若手時代から相手のハードファウルを受けており、1995年のプレシーズンではマット・ガイガー(元ヒートほか)のチョップで右手親指を骨折したこともあった。
だがそこからパワーを増したシャックはアンストッパブルな選手へ進化を遂げた。成功率こそ5割前後だったものの、キャリア中盤には8シーズン連続でフリースロー平均試投数が2桁超え、2000-01シーズンにはキャリアハイの13.1本を記録したように、相手チームはファウルで彼をスローダウンさせるしかなかった。
ミラーがNBA入りした2000年当時、シャックはキャリアの全盛期を迎えていただけに、相手を寄せ付けない驚異的なパワーは今も脳裏に鮮明に焼き付いているようだ。
文●秋山裕之(フリーライター)
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「(対戦時に)彼はファウルされたことすら気付いていなかったんだ! 一度僕は彼に対してハードファウルを仕掛けたのに、僕が腕を痛めてしまったんだ。その時に『(ファウルしたのは)僕だ。ごめんよ』と話しかけたのに、彼は『お前、俺に当たってきたのか?』って感じで返してきたんだ」
シャックは若手時代から相手のハードファウルを受けており、1995年のプレシーズンではマット・ガイガー(元ヒートほか)のチョップで右手親指を骨折したこともあった。
だがそこからパワーを増したシャックはアンストッパブルな選手へ進化を遂げた。成功率こそ5割前後だったものの、キャリア中盤には8シーズン連続でフリースロー平均試投数が2桁超え、2000-01シーズンにはキャリアハイの13.1本を記録したように、相手チームはファウルで彼をスローダウンさせるしかなかった。
ミラーがNBA入りした2000年当時、シャックはキャリアの全盛期を迎えていただけに、相手を寄せ付けない驚異的なパワーは今も脳裏に鮮明に焼き付いているようだ。
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