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「彼の笑顔、精神、人々への愛は決して忘れ去られることはない」ピッペンが守護神ムトンボを追悼「安らかに眠ってくれ」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2024.10.01

ムトンボは2019、22年のジャパンゲームで来日するなど日本のファンにもお馴染みの存在だった。(C)Getty Images

ムトンボは2019、22年のジャパンゲームで来日するなど日本のファンにもお馴染みの存在だった。(C)Getty Images

 現地時間9月30日、元NBA選手のディケンベ・ムトンボが脳腫瘍で亡くなった。享年58歳。2015年にバスケットボール殿堂入りを果たしたレジェンドは、22年10月に脳腫瘍のため治療中であることを発表していた。

 1966年にコンゴ民主共和国の首都キンシャサで生まれたムトンボは、91年のドラフト1巡目4位でデンバー・ナゲッツに指名されて入団。218㎝・118㎏という恵まれたサイズを武器に、1年目からリーグ3位の平均12.3リバウンド、同5位の2.96ブロックをマークしてオールスターに出場すると、3年目の1993-94シーズンには平均4.10ブロックでスタッツリーダーに輝く。

 さらに同年のプレーオフでは1回戦でショーン・ケンプ、ゲイリー・ペイトン、デトレフ・シュレンプらを擁し、シーズンでリーグ最高勝率を残したシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)相手に平均12.6点、12.2リバウンド、6.20ブロックと大暴れ。2連敗から3連勝(当時の1回戦は3勝先取制)を飾り、第8シードが第1シードを撃破するNBA史上初のアップセットの立役者となった。

 その後、在籍したアトランタ・ホークスやフィラデルフィア・セブンティシクサーズでも守護神として圧倒的な存在感を放ち、ブロックを決めた際に披露する“フィンガー・ワグ”は彼のトレードマークとなった。18年間のキャリアで最優秀守備選手賞には計4度(95、97、98、01)輝き、通算3289ブロックはNBA歴代2位、平均2.75ブロックは同7位にランクしている。
 
 コート外では現役時代から慈善活動を精力的に行ない、母国コンゴの生活環境改善に尽力。自身のサラリーのほか、財団を設立して基金を募り、06年に母国に亡き母の名を冠した病院を完成させるなど人道主義者としても知られた。

 ムトンボと同世代でプレーオフでも対戦経験のあるスコッティ・ピッペン(65年生まれ/元シカゴ・ブルズほか)は、自身のSNSでレジェンドとの別れを惜しんだ。

「ディケンベ・ムトンボの死に深く心を痛めている。あらゆる意味で真の巨人であったディケンベの存在は、バスケットボールのコートを越えて広く感じられた。彼が史上最高のディフェンダーであったことは間違いないが、彼を本当の意味で際立たせていたのは、心の大きさ、誠実さ、そして他人を助けるために尽力したその姿勢だった。

 彼は目的意識を持った人間であり、その遺産は彼が関わった無数の人生、彼が助けたコミュニティ、そして彼が示した力強い模範の上に築かれている。彼の笑顔、彼の精神、人々への愛は決して忘れ去られることはないだろう。ディケンベ、安らかに眠ってくれ。あなたの遺産は永遠に生き続ける」

 15年にスペシャルオリンピックス国際本部グローバルアンバサダー、19、22年のジャパンゲームではNBAのグローバルアンバサダーとして来日するなど、日本でも知名度が高かったムトンボ。コート内外で彼が遺したレガシーは永遠に語り継がれていくだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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