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NBA

フルネームは49字、話せる言語は9種類…。何もかもが“長い”男ディケンベ・ムトンボ【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2021.02.16

1991年のドラフトでナゲッツに指名されたムトンボは1年目から主力として活躍。218㎝の高さを生かしたブロックは相手チームの脅威となった。(C)Getty Images

1991年のドラフトでナゲッツに指名されたムトンボは1年目から主力として活躍。218㎝の高さを生かしたブロックは相手チームの脅威となった。(C)Getty Images

■バスケットボールよりサッカーが好きだった少年時代

 ディケンベ・ムトンボは、何もかもが“長い”男だった。フルネームはディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボで、アルファベットにして49文字にもなる。マスターした言語のリストも長い。母国コンゴ民主共和国で話されているルバ語のほかに4つのアフリカ言語と、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語の合計9種類を話すことができた。

 腕や足も人並みはずれて長く、リーグ史上2位となる3289回のブロックショットを量産した。NBAにおけるキャリアも18年の長きに及んだ。だが、彼がアメリカに渡った時には、そんなことは想像もしていなかったことだろう。そもそも、彼にはバスケットボール選手になる気などなかったのだから。

 ムトンボが生まれた首都のキンシャサは、モハメド・アリとジョージ・フォアマンが名勝負を演じたことでも有名な街だ。ムトンボによると、その時、母のビアンバは会場でコーラを売っていたそうだ。父は学校の校長で、学問と信仰に熱心な家庭で特に不自由なく育った。9人の兄弟はみな背が高く、中でも“デケ”の身長は飛び抜けていて、ハイスクールに通う頃には210cmを超えていた。
 
 これだけの身長があったのに、ムトンボが好んだスポーツはバスケットボールではなく、サッカーとマーシャルアーツ(武芸)だった。

「肉体的な接触が多いからバスケットは嫌いだった。両親にほとんど強制されるような形で仕方なく始めたんだよ」。

 最初の試合で転倒し、あごに今でも残る傷を負ってますますやる気は失せたが、説得されて渋々続けているうちにみるみる上達。1年余りでナショナルチームの代表に選ばれるまでになり、アメリカ大使館職員の仲介によって、奨学金付きでジョージタウン大に入学した。

■大学で名将トンプソンの指導を受け、順調に成長

 ジョージタウン大時代のムトンボは、名センターのパトリック・ユーイングを育てたジョン・トンプソンの指導の下で順調に成長していった。1学年下のアロンゾ・モーニングとツインタワーを形成し、4年時にはブロックショットで全米4位、リバウンドで6位にランクされ、ビッグイースト・カンファレンスの最優秀守備選手に選出された。

 学業も怠ることなく、外交学と言語学の学位を取得し、連邦下院ではインターンとして働いた。「卒業が迫った頃になっても、まだNBAの選手になれるとは思っていなかった」というムトンボだったが、政治家になるという目標は、1人の偉大なセンターに出会ったことで変わった。
 

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