殿堂入り選手のチャールズ・バークレー(元フェニックス・サンズほか)は、現役時代にしのぎを削ったマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ)とはかつては親友・ライバルであり、近年は犬猿の仲が取り沙汰されてきた。その中で、バークレーはジョーダンの凄さを実感したというあるエピソードを明かしている。
同じ1963年生まれで誕生日も3日違い(ジョーダンが2月17日、バークレーが2月20日)、そして84年のドラフト同期であり、93年のNBAファイナルで直接対決したように、2人はリーグを代表するスーパースター同士、激しく火花を散らした。一方で、92年にはバルセロナ五輪で伝説の“ドリームチーム”の一員として共闘。ともに主軸として母国に金メダルをもたらすなど、現役時代は仲の良さが知れ渡っていた。
2人は殿堂入りも果たしたNBAのレジェンドだが、引退後に関係は一変した。シャーロット・ホーネッツのオーナーとなったジョーダンの手腕を、歯に衣着せぬ物言いのバークレーが批判して以降、確執が表面化していった。約10年間はまともに口を利いていないというエピソードが判明した際には、大きな話題を呼んだ。
今では、ジョーダンとの関係修復を考えているともされるバークレー。『Fox Sports Radio』のポッドキャスト番組『DAN PATRICK SHOW』に出演した際、「現役時代、エア・ジョーダンを履いたことはある?」と問われ、ヒューストン・ロケッツ時代に一度だけ、ジョーダンのシグネチャーシューズであるエア・ジョーダン14を履いた経験があると明かした。
「マイケルとヒューストンで夕食に行った時、『君に話すことがある』と言われて葉巻を吸いに行った。そこで、彼は『(1997-98)シーズンが終わったら引退するつもりだ』と言った。『何だって?』と思ったけど、彼は真剣だった」
バークレーは、偉大なポイントガードして語り継がれるマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)とのやり取りを引き合いに出しつつ、エア・ジョーダンを履くことになったいきさつを振り返った。
「マジック・ジョンソンが(1991年に)HIV感染を公表した時、俺は彼に敬意を表したかった。(フィラデルフィア・セブンティシクサーズのOBでヘッドコーチも務めた)ビリー・カニングハムに連絡して、『あなたのジャージー(背番号32)を着て、マジック・ジョンソンを祝ってもいいですか?』と聞いたんだ。彼は『もちろん。何の問題もない』と言ってくれた。アービン(マジック)に電話をして、『あなたが僕や家族にしてくれたすべてのことに感謝して、シーズンを通して32番を背負う』と伝えた。だから、俺は1年だけ32番をつけたんだ。
俺はマイケルの時も連絡して、『シューズを送ってくれ』と伝えた。マイケルがしてくれたすべてのことに感謝しているから、1試合だけマイケルのモデルを履いた」
同じ1963年生まれで誕生日も3日違い(ジョーダンが2月17日、バークレーが2月20日)、そして84年のドラフト同期であり、93年のNBAファイナルで直接対決したように、2人はリーグを代表するスーパースター同士、激しく火花を散らした。一方で、92年にはバルセロナ五輪で伝説の“ドリームチーム”の一員として共闘。ともに主軸として母国に金メダルをもたらすなど、現役時代は仲の良さが知れ渡っていた。
2人は殿堂入りも果たしたNBAのレジェンドだが、引退後に関係は一変した。シャーロット・ホーネッツのオーナーとなったジョーダンの手腕を、歯に衣着せぬ物言いのバークレーが批判して以降、確執が表面化していった。約10年間はまともに口を利いていないというエピソードが判明した際には、大きな話題を呼んだ。
今では、ジョーダンとの関係修復を考えているともされるバークレー。『Fox Sports Radio』のポッドキャスト番組『DAN PATRICK SHOW』に出演した際、「現役時代、エア・ジョーダンを履いたことはある?」と問われ、ヒューストン・ロケッツ時代に一度だけ、ジョーダンのシグネチャーシューズであるエア・ジョーダン14を履いた経験があると明かした。
「マイケルとヒューストンで夕食に行った時、『君に話すことがある』と言われて葉巻を吸いに行った。そこで、彼は『(1997-98)シーズンが終わったら引退するつもりだ』と言った。『何だって?』と思ったけど、彼は真剣だった」
バークレーは、偉大なポイントガードして語り継がれるマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)とのやり取りを引き合いに出しつつ、エア・ジョーダンを履くことになったいきさつを振り返った。
「マジック・ジョンソンが(1991年に)HIV感染を公表した時、俺は彼に敬意を表したかった。(フィラデルフィア・セブンティシクサーズのOBでヘッドコーチも務めた)ビリー・カニングハムに連絡して、『あなたのジャージー(背番号32)を着て、マジック・ジョンソンを祝ってもいいですか?』と聞いたんだ。彼は『もちろん。何の問題もない』と言ってくれた。アービン(マジック)に電話をして、『あなたが僕や家族にしてくれたすべてのことに感謝して、シーズンを通して32番を背負う』と伝えた。だから、俺は1年だけ32番をつけたんだ。
俺はマイケルの時も連絡して、『シューズを送ってくれ』と伝えた。マイケルがしてくれたすべてのことに感謝しているから、1試合だけマイケルのモデルを履いた」